Feature 特集

不屈のボンバーヘッド/DF 22 中澤 佑二(横浜F・マリノス)

2019/1/11 10:52


真のプロフェッショナル。絶対にあきらめないという偉大な才能

 プロ生活20年。40歳で迎えたシーズンを終え、中澤が引退を決意した。
 ラストイヤーとなった18年は「ネガティブなことが重なった」シーズンになってしまった。指揮官がエリク・モンバエルツ監督からアンジェ・ポステコグルー監督に代わるとともに戦術が大きく方向転換。その「新しいことだらけ」のシーズンで「僕自身も一生懸命、順応したり進化しようとした」と話すとおり、ビルドアップやハイライン、決して得意とするプレーでなくとも全力で取り組んできたが、トレーニングからテーピングで固めていた左ひざの状況が悪化し、シーズン半ばからチームを離脱した。J1連続フルタイム出場は178試合、同連続出場は199試合でストップし、J1第23節の鹿島戦以降、15試合でピッチに立ったのは最終節のC大阪戦のラスト10分程度のみだった。
 ただ、仮に現役最後のシーズンが「ネガティブなことが重なった」ものだったとしても、その功績が色褪せることは、決してない。
 中澤が苦労人であることは誰もが知るところだろう。詳細な経歴は省くが、学生時代は注目された選手ではなく、ブラジル留学と練習生契約を経てV川崎(現・東京V)でプロになった。
 私立高への進学はもちろん、電車通学も避けるなど家庭は決して裕福ではなかった。それでも家族は全力でサポートしてくれたが、トレーニングに時間を使うためアルバイトもせず、プロになるまでは「とにかく金がなくて」、トレーニングをしてもスポーツドリンクを買うのではなく公園の水道で水を飲むような生活を送っていた。「女の子とデートできなくても、彼女がいなくても、クリスマスを一人で過ごそうが関係ねえや」。そんなことは二の次。年頃の男性に伴いがちな誘惑は「プロになってからやればいい」と振り払った。
 その考えはプロになろうが、日本屈指のDFになろうが変わらなかった。揚げ物や甘い物は少しだけなら問題ないことは知っている。だが、「一つ食べてしまえばもう一つ」となってしまうから排除した。経験を重ねれば「全力を出さなくてもテクニックでいなせてしまう」トレーニングもあったが、「全力でやれば何か身につくだろう」という思い、そして何より「実力でプロになったわけではないと思っていた。手を抜いたらいつクビを切られるか分からない。だから誰よりも一生懸命やらないといけない」という気持ちは40歳まで変わらなかった。
 中澤は自身の努力について、プロになるため、またはプロで活躍し続けるためには「普通」と言う。そして「修行僧になれとは言わないけど」と笑う。でも、本当にそうだろうか。中澤がこの20年、いや30年近くしてきた努力は決して普通ではなく、まるで修行僧のようだ。「才能がなかった」と言うが、そこまでの努力ができる人間もまた、ごく限られているのではないか。
 誰よりもサッカー選手になるためにストイックに取り組み、誰よりもサッカー選手としての自覚とプライドをもち、誰よりもプロフェッショナルだった。
 今後、日本サッカーの進展とともに中澤より優秀なCBが出てくる可能性はあるだろう。ただ、中澤のような経歴をもつ選手が出てくることは、そうそうないはずだ。それはもしかしたら、国内ではJ1通算593試合出場にリーグ優勝2回、天皇杯優勝1回、日本代表としては通算110試合出場にW杯出場2回、アジアカップ優勝2回という記録よりも偉大なことなのかもしれない。(菊地 正典)

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