●選手を辞めたサッカー人にとって選手を指導することが一番の喜び
──約6年ぶりに日本へ帰ってきました。
「町田ゼルビアはとてもいいチームだと思います。ただ、まだ私はこのチームでトレーニングを始めたばかりなので、ほかのチームとの比較もできないし、どのレベルに町田がいるのかも言えないが、選手たちは意欲的にトレーニングに取り組んでくれている。何も不満を感じることなく指揮を執らせてもらっている。日本という国は皇室があることもそうだが、(王室のある)イギリスに似ている部分も多い。変化は当然あるが、私は伝統を重んじる国民性が好きでいつも帰りたいと思っていた。その気持ちはたとえ2部リーグのチームであっても変わらない。今回は唐井直GMが声をかけてくれたことをきっかけに、家族、奥さんと相談しながら熟慮して日本に来ることを決めました。家族も賛成してくれたし、何よりも私を知っている方が声をかけてくれたことが大きい。唐井GMのオファーが自分の心を動かたことは事実です。イングランドでの生活は何不自由なく、トッテナム・ホットスパーの大使やスペインサッカーの解説の仕事など、サッカーに携わる仕事ができていました。とはいえ本来求めていた仕事ではなかったかもしれません。やはり監督業、そして選手たちを指導できることが選手を辞めてしまったサッカー人にとって一番の喜びです」
──そこまで監督を引き付ける日本の魅力とは?
「町田とは別のチームを率いていましたが、私は約7年間日本にいました。タイトル獲得という良い思いもさせてもらったし、携わった方々に良くしてもらったことはいまでも心に残っています。何より日本では落ち着いた環境で監督業をやらせてもらっています。日本での生活自体が好きですし、食事も好き。ただ音楽のことはよく分からないのだが(苦笑)。好きな日本食を一つに絞るのは難しいですね。焼き鳥、天ぷら、しゃぶしゃぶ。寿司はチョット苦手。それ以外の日本食もほとんど好きです。たとえば、イタリア料理や中華料理も日本風味になっていますが、その日本風味自体が好きでもあります」
──日本人選手、日本のクラブを指導することの魅力とは?
「選手たちの監督に対するリスペクトがすごい。欧州やアルゼンチンでもここまで監督に対して尊敬の念を抱く国はありません。ほかの国は3連敗でもすれば監督の首を切られるものですが、日本では時間が与えられています。もちろん日本でも3連敗で監督が解任されるケースもありますが。たとえば、リーガエスパニョーラであれば少しでも負けが込んでくれば監督交代の話が出る。日本では落ち着いて仕事ができるし、そうすればバルセロナ(スペイン)に勝てる日が来るかもしれません。でもそれは簡単なことじゃないですよ(笑)」
●日本サッカーは成長を重ねる段階に入っている
──ここからは少し昔話を。1996年に清水の監督として初めて来日しましたが、当時の日本人選手を見ての率直な感想は?
「プレー面、戦術、フィジカルあらゆることにおいていまのようにレベルは高くありませんでした。だから清水では基本的なことから始めました。いまはそのようなアプローチをしていませんが、そんな最悪のときからは脱しています。あのころはJリーグが始まって間もなくの時代(93年Jリーグのスタートから3年目)で、まだ学んでいる途中なんだなと思ったものです。ただプロリーグが始まって日本全体が盛り上がり、Jリーグは一つの成功を収めていたと思います。アルゼンチン、ブラジル、オランダのようなトップレベルではなくてもすごく変化したと思いますし、日本代表はFIFAランキングも上のほうに定着しています(1月18日現在・19位)。何度もアジアチャンピオンになっているし、W杯出場も当たり前になりました。日本サッカーは学ぶ時代が終わって、新たに成長を重ねていく段階に入っているのではないでしょうか」
──就任1年目でナビスコカップ初優勝を果たしましたが、その要因は?
「それは僕に聞くべき質問じゃないと思うけど、いいトレーニングをしていたから優勝できたんじゃないかな。周りに強いチームはたくさんありましたが、成長に成長を重ねてその結果に結び付いたと思います。私は試合に勝つためにはどうしたら良いか、それをずっと考えていました。そして勝利を求めていると言っても、ただ勝てばいいのではなく美しく勝ちたいと常に思っていました。当時のことを思うとフェルナンド・オリバ(アルゼンチン人。登録名オリバで96-98年と00-01年清水に所属し、J1通算72試合出場40得点)という選手が印象深いですね」
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