Feature 特集

15年目の結実。ドイツに成功をもたらした“育成プロジェクト”と“小さな革命”

2014/7/22 17:00



1.ドイツサッカー連盟の育成プロジェクト

ドイツ代表の危機的な時期

 2000年夏、ドイツ代表は危機的状態にあった。ユーロ2000は散々な内容で一次リーグ敗退。主力の高齢化・戦術の硬直化など種々の問題を抱えていた。この問題を解決するための手立ては急務だった。

 フランスW杯準々決勝で敗退した98年ごろからドイツサッカー連盟(DFB)は有識者会議の形で長期的な育成を考える動きを見せていたが、2000年に本格的に委員会を設立。一大育成プロジェクトが始まった。

 その委員会に招かれたブンデスリーガの指導者が、ハンス・マイヤー(※1)、フェリックス・マガト(※2)、そしてフォルカー・フィンケの3人だった。彼らはクラブでの仕事の合間にフランクフルトに通い、DFBと議論を交わしていった。

 当時、フィンケ氏がブンデスリーガで獲得したタイトルはSCフライブルクでの2部における優勝のみ。だが95年には1部で3位という成績を収め、UEFAカップの本大会出場も果たしていた。何より無名選手を発掘する育成面での手腕は、すでに当時のドイツでも知れわたっていた…

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