Feature 特集

ディエゴ・フォルラン、最強の挑戦者

2014/2/12 17:00

12日に来日したディエゴ・フォルラン。彼と親交の深いイギリス人ジャーナリストがC大阪への移籍を決断した背景、そしてフォルランという男の根底に流れるモノを明かす。


文:アンディ・ミッテン/翻訳・構成:田嶋コウスケ


長居スタジアムの写真

「セレッソ大阪でプレーすることにしたんだ」

 ディエゴ・フォルランから「日本行き」の決断を告白されたのは、ツイッターで発表する5日前のことだった。

 私がブラジルW杯の事前取材で当地を訪れたのは1月17日。当時ブラジルメディアは「インテルナシオナル残留」、「ボダフォゴへ国内移籍」と去就について騒ぎ立てていたが、少なくとも1月上旬までにフォルランの心は「C大阪」で決まっていた。

 その証拠に、彼の自宅を訪れた私に対し、彼は1枚の写真を見せてくれた。

 C大阪の本拠地、長居スタジアムの写真である。「ここがスタジアムなんだ」とうれしそうに語り始めると、いかにC大阪のサポーターが献身的にチームを支えているか、昨年7月に行われたマンチェスターUとの親善試合で香川真司がどれほど暖かく迎えられたのかを熱心に説明してくれた。

「日本には試合で4回ほど訪れたことがあってね。日本の人は親切で、印象が良い」。昨年12月に結婚したばかりのパス夫人とともに、すでに新天地の日本に思いを馳せていた。

リベルタドーレス杯。父と同じ道

 ただ移籍を決断するにあたり、フォルランには一つだけ心残りがあったように思う。それは34歳のベテランになったいまも出場経験のないリベルタドーレス杯(※南米クラブチームによる大陸選手権。南米最強クラブを決める大会で、優勝チームにはFIFAクラブW杯の出場権が与えられる)。

 これまでW杯得点王やリーガ・エスパニョーラ得点王の称号といった多くの個人タイトルを獲得してきたが、このリベルタドーレス杯だけは縁がなかった。「いつか、この大会でプレーしたい」。フォルランは常々、こう口にしていたのである。

「リベルタドーレス杯は、南米の欧州CLのようなもの。元サッカー選手の父パブロは、1966年にペニャロール(ウルグアイ)の一員として、南米の頂点に立ったんだ。僕は父からこの大会についていろいろ聞かされて育った。父と同じように、いつかリベルタドーレス杯のトロフィーを掲げたい」

 父と同じ道を歩むのが夢─。フォルランがよく口にする言葉だ。サッカー選手として初めてピッチに立ったのも、当時父親がコーチを務めていたペニャロールだった。ウルグアイ代表としてW杯出場経験もある父パブロについて、フォルランはこう語る。

「マンチェスターU時代のアレックス・ファーガソンや、ビジャレアル時代のマヌエル・ペジェグリーニ(現マンチェスターC)ら世界的な名将の下でプレーしてきたが、僕にとって最高の指導者は父親なんだ。サッカー選手としての原型を作り上げてくれたのは間違いなく彼。サッカーのすべてを教えてくれた。子供のころ、父親に教えてもらったメニューを黙々とこなしたものさ。『お前にはストライカーの素質がある』って言ってくれたのも父。『点取り屋になるために必要なセンスや本能が備わっている』とね。サッカー選手になりたいと思えたのも、父の存在があったから。彼の助言やアドバイスが、どれだけ心の支えになったか」

 日本行きを決断するにあたり、実はブラジルのリオデジャネイロに本拠を置くボダフォゴに移籍し、リベルタドーレス杯に出場するという選択肢もあった。

 父親の背中を見て育ったフォルランには、夢を叶えるチャンスもあったわけだ。それでも、C大阪への移籍を決めたのである。

「オファーの詳細やクラブのコンセプトを聞いていくうちに、僕の気持ちはうれしさから興奮に変わった。マンチェスターUとの一戦でも、セレッソは素晴らしいプレーを見せた。日本のサッカーはプレースピードが速く、選手がとても素早く動きまわる印象。ボールテクニックの技術も高い。日本でプレーすることを本当に楽しみにしている」

 北米やメキシコ、欧州のクラブからもオファーが届いていたが、ウルグアイのナンバー10は新天地にC大阪を選んだ。

 夢を断ち切ってでも日本行きを決めたあたりに、わたしはフォルランの「本気度」を実感している。

不屈のメンタリティーを持って

「ウルグアイの人口はわずか300万人。約2億人もの人口を持つブラジルに比べると、僕らはいつも挑戦者だった。だけど、そんなことはまったく気にしない。ウルグアイ人のストロングポイントは強靭な精神力。生まれながらにして不屈のメンタリティーを備えているからこそ、南米の強豪国とも互角に渡りあってきた。W杯出場権を獲得しているのは、その証拠。恐れる必要などまったくない」

 ウルグアイで生を受けたフォルランは、アルゼンチン、イングランド、スペイン、イタリア、ブラジルの5カ国を渡り歩き、自らの脚で地位と名声を築き上げた。

 そして、次章は日本─。自身のルーツを胸に、大阪の地でも挑戦者として走り続けるはずだ。

アンディ・ミッテン
1974年生まれ。15歳のときにマンチェスター・ユナイテッドのファンジン「United We Stand」を立ち上げ、現在もサッカー誌「FourFourTwo」や英紙「デイリー・テレグラフ」などで執筆。マンチェスターUに在籍したフォルランとは、2002年から家族ぐるみで交友がある

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