2年前、その才能は輝かなかった。
静岡学園高を卒業後、いまとなっては信じがたいことに、拾われるような形で川崎Fへと進んだ大島僚太はそこで少しずつ力を蓄え、開花のときを待っていた。2012年のAFC・U-19選手権へ、U-19日本代表の一員として臨んだのは、そんな時期だった。
大島の定位置は当初ボランチだった。機動的で知性あふれるプレーを見せる大島が最も好むポジションだったが、守備面の不安も見え隠れした。結局、大会直前になって大島の定位置は右サイドのMFへと移される。大島を中央で使う守備面でのリスクを避け、サイドでボールの落ち着きどころを作ろうという意図は理解できたが、結果として大島の個性は死んでしまった。
あるいは現在の大島であれば、もっと器用にこの役目をこなしていたかもしれない。だが、当時の大島には無理だった。日本がイラクに1-2で敗れて世界への夢を絶たれた準々決勝で、大島の存在感は希薄なままだった。
あれから2年、柔和なその表情に変化はないが、代表のユニフォームの重さに負けるようなこともなくなった。Jリーグで積み上げた確かな自信。その財産がいまの大島にはある。
中村憲剛という突き抜けた力を持つ相方もいないし、大久保嘉人のような出せば何とかしてくれるFWもいない。代表チームゆえの“バラバラ感”も、どうしたってある。だからこそ、“個”としての大島が問われる大会であり、力を証明する好機でもある。
「 U-19のときは、まるで点を取れなかったから」
クウェート戦後、ゴールの感想を聞かれた大島は聞かれてもいないことをボソッとこぼした。あの日の悔恨はいまも彼の中にくすぶっているのかもしれない。
アジア大会、次の相手はイラク。開催国・韓国と並ぶ優勝候補筆頭と目される強敵だ。あの日、大島たちを蹴散らして世界切符をつかんだ彼らは、U-20W杯で4強まで勝ち進み、「黄金世代」となった。五輪予選に向けて開いてしまった差は詰めておく必要があるだろう。(川端 暁彦)
大島 僚太(おおしま・りょうた)
1993年1月23日生まれ、21歳。168cm/64kg。静岡県静岡市出身。船越SSS→静岡学園中→静岡学園高を経て2011年川崎Fに加入。J1通算61試合出場3得点。