あまりにも無情な結末だった。あと数分、いや数十秒耐えられなかった。それはまるで日本サッカー史にとっての極めて重要な出来事である1993年10月28日、日本代表があと一歩のところでW杯出場を逃した“ドーハの悲劇”のようだった。「これもサッカー」。そう口にしたのは那須だった。李は「サッカーの神様は僕らに微笑んでくれなかった」と表現した。ただ、自ら招いた結果であることも確かだ。
原因を挙げ出したらキリがない。ただ、それを一言で表すなら、“つたなさ”であり、“勝負弱さ”なのだろう。多くの選手が言ったように、先制前、先制後にあったチャンスを一つでも決めていれば結果は違っていたはずだ。先制後ももっとうまく時間を使えていれば、CKの前に試合は終わったかもしれない。特に後半ロスタイムに入ったばかりの時間稼ぎ。一度はマルシオ・リシャルデスがファウルを受けたが、二度目はあまりに簡単にボールを失った。失点のCKを与えた場面も森脇の対応はつたなかったし、CKも林の攻撃参加に対して混乱した上、青木が小林を完全に見失った。94分までは守備陣を中心に相手の攻撃を耐えた。それは明らかな成長だった。引き分けという結果だけを見れば、アウェイでの鳥栖戦の連敗を止め、シーズンを通して連敗を避けることができた。しかし、細部における勝負強さ、試合巧者ぶりはまだまだ足りなかった。それは直接的にここで名前を挙げた選手だけに責任があるのではなく、チーム全体の問題だ。
現実を考えればG大阪が最下位の徳島を相手に引き分け以下に終わるとは考えにくく、7点の差がついた得失点差を逆転する可能性も極めて低い。しかし、多くの選手が言っているように、まだ何も終わってはいない。今回もそうだったように、最後まで何が起きるか分からない。そのために浦和ができることは、ホームでの最終節・名古屋戦で勝利することだけだ。(菊地 正典)