時には自ら営業に回る
あのとき、柱谷哲二前監督が来ていなければ、いまの水戸はない。それどころか、現在クラブは存在していなかったかもしれない。その表現が大げさではないぐらい、4年半の間に柱谷前監督が残した功績は大きかった。
柱谷前監督が就任した11年。水戸は危機的な状況にあった。新体制記者会見前に緊急にクラブの財務状況に関する会見が開かれ、Jリーグから借り入れている3千万円の返済期限を先送りにすることを発表。10月末までに返済できなければ、「最悪の事態も考えなければならない」(沼田邦郎社長)という存続の危機に陥った。再スタートを切ろうとした水戸にさらに追い打ちをかける出来事が起きた。東日本大震災である。水戸市も大きな被害を受け、地域の経済は冷え込み、万事休したかと思われた。
そんなクラブに希望の光を灯したのが柱谷前監督だった。「被災地の方々に前進する姿を見せよう」。選手たちを引っ張り、「やり切る」、「走り切る」という明確なスローガンを掲げてチームを鍛え上げた。そして“闘将”としての抜群の知名度を生かして、時には営業に回り、また講演を行うなどして支援者を増やすことにも尽力した。さらに元日本代表FW鈴木隆行(現・千葉)の獲得にも一役買った。
「被災地の故郷・茨城を元気にしたい」という思いから水戸に加入した鈴木だが、当初は現役を引退してスタッフとして携わることを希望していた。しかし、柱谷監督は「できるのなら選手としてプレーしてもらいたい」と訴え、選手として加入させたのだった。鈴木の加入により、注目度は急激に上がった。その結果、クラブは経営の立て直しに成功。Jリーグへの借入金を期限内に完済し、その後、3年連続黒字を達成するに至った。柱谷前監督の貢献度は決して小さなモノではなかった。
塩谷など若手の才能を開花させる
また、監督としては、塩谷司(現・広島)、ロメロ・フランク(現・山形)ら若手を成長させ、さらに橋本晃司(現・川崎F)や輪湖直樹(現・柏)などくすぶっていた才能も開花させながらチームを強化していった。クラブの経営が上向いたとはいえ、リーグ最少レベルの資金力は変わらず。強化費も下から3本の指に入る状況が続いていた。それにもかかわらず、昨季まで一度も残留争いに巻き込まれることなく、上位を目指す戦いを繰り広げた柱谷前監督の手腕は評価されてしかるべきだろう。
そして今季は前年にクラブが赤字を出したことにより強化費が削減されたため、ベテランや中堅を放出し、若手中心のチーム編成を余儀なくされた。「育てながら結果を出すという一番難しいトライをする」と覚悟を持って臨んだシーズンであった。しかし、開幕から調子が上がらず、第17節終了時点で3勝4分10敗とふるわないまま21位に低迷。第17節・北九州戦(1●2)後、解任されることが決まった。柱谷前監督がクラブの功労者であることはクラブが一番良く理解しているだろう。それでも「苦渋の決断」(小原光城強化部長)を下したのは、「絶対にJ2に残留する」という強い意志の表れにほかならない。柱谷前監督就任前には見ることすらできなかった“夢”に向かって前進し続けるために。(佐藤 拓也)