原さんには頭が上がらない
──阿部選手は実に多くの移籍を経験されています。それぞれの移籍の理由を教えてください。
「FC東京から大分に行ったときは、FWで勝負したかったからです。原さんは大好きだったんですけど。あと、好奇心が強くて。違うチームを見てみたかったんです。違うチームで1年間とおして試合に出てみたいと思ったんです。でも、当時の大分では[3-5-2]が採用されていたので、結果SBやウイングバックをやることになって。水が合っていないんじゃないかと感じてFC東京に帰ろうと。ただ、僕自身が言い出して出て行ったので、原さんはもう使ってくれないかもしれない、とも思っていました。それを受け入れる覚悟で、毎日無心でジョギングをしていたのを覚えています。そのとき、初めて血尿が出たんですよ」
──血尿!?ストレスじゃないですか。
「ストレスかもしれません。いろいろなことがあり、いろいろな方に迷惑をかけました。そうしたら原さんが普通に声をかけてくれたんですよね。試合でも使ってくれて、チームは負けなしが続きました(※)。感謝していますし、頭が上がらないですね、原さんには」
※FC東京に復帰し、05年J1第22節から出場した阿部はその試合で早速得点。チームは敗れたが、翌第23節から最終第34節まで6勝6分の無敗だった。阿部はその後2点を決めて、復帰後の812分で天皇杯を含めトータル3点をマークしている。
──次が柏でしたね。
「柏で強化担当をしていた下平(隆宏)さんが『ちょっと来てみろ』と誘ってくれたときはうれしかった。原さんが東京を辞めていて、柏がどんなサッカーをするのか興味もあったので移籍しようと思ったんです。結果的に(FC東京の監督として)復帰する原さんと入れ違い(07年)になってしまった。ひょっとしたら原さんを敬遠しているように見えたかもしれませんが、僕は原さんが大好きです。引退するときもすぐに電話してお礼を言いました。でも、いろいろなサッカーを見てみたい、いろいろなところで試合をしたいという好奇心があって。ただ、(柏の)強化部は必要と言ってくれたけれども、試合に出る回数は少なくなりました」
──どうしても、試合に出る出ないは出てくると思うんですが、やはり獲得に来た強化担当者は見てくれているわけですよね。
「そうです。柏ではシモさん(下平)でしたけれども、大分のときは立石(敬之、当時・大分コーチ、現・FC東京GM)さんや、原(靖、当時・大分強化部長)さんが気遣ってくれました。周りが支えてくださったから、今までできたということはありますね。若いときは我が強かったり、無茶したりするじゃないですか。でも歳を取ってくると若いときの未熟さを感じるし、後悔が強いぶん、自分も成長できたのかなと思います」
──柏の次は湘南。ここはもう完全移籍ですね。
「ソリさんが来て変わりました。スイッチが入ったのはそういうことだと思います。最後のほうは甲府に期限付き移籍しました。ここも守備はキツかったですね。それでもJ1でやれましたし、仲間ができました。いろいろなサッカーができて、どのチームも楽しかったですよ。すごく良い思い出です。松本山雅FCも、最後はここで辞めることができて、本当に良かった」
──プロサッカー選手になって1点も取っていないのは1シーズンだけです。「柏のときですね。練習試合やサテライトに出てハットトリックを決めたりはしたのですが、メンバーに入れず、肋骨を痛めてしまって。その影響もあり、一番体が重かった時期です。すぐ乳酸がたまって苦しい時期でした。その時期を越えるとラクでしたけれども(笑)」
J2に落ちてから戻って強くなる
──では、今まで一番印象に残っている試合なり瞬間は。
「(04年FC東京で)ナビスコカップに優勝したときと、(09年)湘南でJ1に上がったときです。この二つは確実に印象に残っています」
──湘南のJ1昇格のときは、その試合、ご自身で決勝点を含む2点を決めています(J2第51節・水戸戦・3○2)。
「気持ちも入っていましたし…。普通1点や2点の失点では冷や汗をかいたりしないのですが、先制されたときに冷や汗をかくくらいに入れ込んでいました。そのくらい危機感を持って1年やってきていたから、強い思い出があります。ナビスコカップのときは、決勝の3日くらい前に足を捻っちゃいまして、試合には出られなかったのですが、それでも原さんがベンチに座らせてくれました。最後の表彰台に上げてもらえたうれしさがある反面、試合に出られなかった悔しさと、国立でやりたかったという悔しさもある。その悔しさがあったから、もう一度優勝したいという気持ちが高まり、モチベーションになったのかもしれません、あのときの仲間がすごく良かったですからね。やっぱり仲間に恵まれたな、と。東京、湘南、磐田も楽しかったですし、松本で終われたのも良かった。もちろん、大分や柏、甲府もですけれども」
──対戦したプレーヤーで印象に残っているのは。
「モニ(茂庭照幸)はすごいなと思いました。同じチームでやっていてもそうでした。足もああ見えて速いし、1対1の対応もうまいし、リーダーシップも取れるし、厳しいことも言えます。CBだと、(田中マルクス)闘莉王もですよ。ディフェンスでもそうですが、FWで出たときも。(名古屋で)ハットトリックを決めていましたよね? いや、もうね、あれはすごいですよ、FWはお手上げです。監督が使いづらい部分もあるかもしれませんが、本当に素晴らしい。歳を重ねるごとにすごさを感じます。ヘディングは強いし、ちゃんとディフェンスもできるし、まあ、だから似ているんですよね、二人(茂庭、闘莉王)は」
──万能な感じはしますね。
「中澤(佑二)さんは中澤さんでヘディングが強い。すばらしいDFだと思います」
──印象に残っているチームメートは?
「仲が良かった加地くん(亮/当時・FC東京、現・岡山)ですね。彼はそのとき(FC東京の)サテライトのキャプテンだったので。そこからあそこ(日本代表)まで上り詰めて、しっかりやってきた。僕はそれをずっとそばで見てきたので。引退のときに加地くんに話をしたら『アホや。もったいないわ』と言われました。かつては28歳くらいで辞めるで、と言っていた人がですよ。『絶対後悔するわー』と。僕はいつも加地くんのセンタリングの練習に付き合って、中で100本くらいヘディングしていました。そこには長澤徹さんもいて、土肥(洋一)さんは土肥さんで、すごくヤンチャでした」
──土肥さんに何かいたずらされたんですか。
「いやもう、シュート性の…シュート性というかシュートですね、それに僕がヘディングで合わせるという練習をやっていました。僕が合わせたら、土肥さん、ケラケラ笑っていました。すごく脳が痛いんですけど、とりあえずミートさせないといけない。そういう練習をやっていました。あのときは面白かったですね。仲が良いだけじゃなく、厳しいところは厳しい、けれど仲が良い。そういうところが良いチームでした」
──最終所属クラブとなった松本には今後どうなっていってほしいですか。
「湘南もそうですが、落ちてから戻って強くなる。先ほどの繰り返しになりますが、落ちたときの選手が、何人が中心となって残れるか。やはり、落ちた苦しさを経験している選手が試合に出ないと、新しい選手に何を言ってもなかなか伝えづらい。だからいまいる選手には、(再びJ1に)上がったときに『絶対レギュラーを渡さないぞ』という気持ちで残っていてほしい。プロの世界なので、はじかれたらそれは仕方がありません。だけど、僕の願いとしては、いまいる選手たちにたくさん試合に出てもらって、昇格、そしてJ1に残留してほしい」
──阿部さんにとってサポーターとはどんな存在ですか。
「自分の好きな選手が出ていれば満足するという人もいます。それはファンですよね。松本山雅FCのサポーターは試合に出ている11人を応援します。おじいちゃんやおばあちゃんが、監督が選んだ11人を応援して、頑張れ、と言ってくれる。サポートしてくれているんですよ。その、ファンとサポーターとの差は感じましたね。選手は切磋琢磨して練習でしのぎを削っている。ファンが『なぜ誰それを使わないんだ』と言えば、その選ばれた11人に失礼です。強くなるためにはダメだったら使わないという厳しさがないと成り立ちません。まさしく松本はそういうチームだと思います。あと、東京のサポーターは大好きです。けがをしてしまい、移籍の前に東京サポーターに味スタで挨拶できなかったことが、一番悔しいですね。後悔しています」
つくばのサッカーを盛り上げたい
──差し支えなければ、これからの進路を教えてください。
「これまでのサッカー人生で学んできたことを、つくばで子どもたちに伝えたい。選手の立場から、とかそういうことではなく、もう、一緒にやりながら、サッカーを楽しみながら、基礎となる部分はちゃんと教えて。かと言って“発想”は絶対につぶしちゃいけない。いま何を食べなければいけないとか、いまは伸び盛りだからあまり練習しないほうがいいよ、量を落として体幹をやったほうがいいよとか、データを採りながら、地元のサッカーを盛り上げていくスクールを作りたい。あったらいいなが地元にある、それが子どもたちのためにあるというのが大事です。それがいまの自分の喜びです」
──これから立ち上げるんですね。
「はい。子どもやお母さんに発信しながら、地元の手助けをしたい、つくばを盛り上げたいという気持ちが強いです。そこに、一番のパワーを使いたいと思っています」
──スクールが軌道に乗ったら社会人サッカーでプレーする可能性はありますか。
「ちょっと体を動かすくらいにはあるかもしれないですね。もうプロは卒業したので。子どもが聞いてきたことに見本を見せられるような体を作っておかないと、とは思います。見て学べるという意味で自分で(手 本に)なれますし。でも、社会人チームのどこかでバリバリやるというのはないと思います」
聞き手:後藤 勝 取材日:12月14日(月)