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出会い、経験。その財産をこれからのサッカー人生に生かしていきたい
最後に決めるのは自分自身
――15年間お疲れさまでした。引退されての心境はいかがですか。
「まだ実感がまったくないですね。例年と同じようにシーズンが終わって、来シーズンに向けて休んでいる、『本当に引退したのかなあ』という感じです。ただ、悔いはないです。もっとやりたい気持ちとか、あのときこうしていれば良かったとか、いろいろ考えますけれど、気持ちは本当にスッキリしています」
――引退を決めた理由は何だったのでしょうか。
「来年(2016年)もやろうと思えばやれますが、次のステップに行こうと。家族といろいろな話をしながら、37歳という年齢までできたことはすごいことだと思いますし、目標にしていた年齢なので、『よく頑張ったな』と自分に言ってやりたいですね(笑)。プロ選手になり30歳までを目標にして、大卒10年の32歳、35歳、次は37歳と段階的には来ました。40歳までできれば最高だったとは思いますが、37歳も目標にしてきた年齢なので、良かったなと思います」
――引退は自分の中にしまい込んでいたそうですが。
「言わなかったですね。移籍も含め、これまでいろいろなことを経験してきましたが、最後に決めるのは自分自身。うまくいかなくても、うまくいっても、誰かに相談したり、『ああしたら良かった』と後悔したりするよりかは、自分で決めたことは自分で責任を取る。それも(キャリアの中で)学んできたことの一つです。今季(2015年)に関しては、(岐阜が)残留争いをしていましたし、それ(引退する意志の表明)がチームにとって良くないこともあります。もちろん、チームがまとまるようなところもありますが、余計なことは(チームのみんなに)考えさせたくなかったので、黙っていようと決めていました」
――では37歳まで自分を突き動かしてきたモノは何でしょうか。
「サッカー大好き。いまでも大好きです。見るのも大好きだけど、ボールを蹴るのが大好きというのは子どものころから変わっていないですよ(笑)。引退してもサッカーは続けるでしょうし。サッカーを仕事として考えたことがないんですよ。大学からプロになって『大好きなサッカーをしているのにお金をもらえるんだ』という変な違和感がありました。こんなに幸せなことはないなと。ここまで4つのクラブでプレーしましたけど、うまくできたことも、うまくいかないこともありました。いろいろな選手やサポーターの皆さんに応援してもらってここまでできたので、皆さんに本当に感謝しています」
――財産ですね。
「出会いもそうですし、いろいろな経験もそうですし、その財産をこれからのサッカー人生に生かしていきたいです。ムダなことは一つもなかった。良いことも、うまくいかなかったこともすべてが財産。言われて覚えている一つが『人は変えられないけど、自分は変えられる』ということ。田坂さん(田坂和昭元・大分監督)が言ったんですよね。自分が変われば、何かが変わるかもしれない。何もしなければ人は変わらない。『うん、やるしかねえな』と。田坂さんは全員の前で、そういった人生においての哲学的な話をするんですよね。座右の銘は『日々成長』ですが、慢心や過信をしたら成長できないことも分かっていますし、『これでいいや』と思ったら、終わってしまう。それも僕が学んだことなので、次のサッカー人生でも胸にしまいながらやっていきたいです」
原点。青赤をまとって
――それでは影響を受けた指導者はいますか。
「もちろんたくさんいます。それぞれのチームで、日本でも有名な方ばかりに指導していただきました。いろいろな方の良いところを見て、勉強になりましたし、自分の中の財産になっています。中でも、長澤徹さん(FC東京コーチ/現・岡山監督)には、プロに入って、いろいろなことを教わりました。技術的、戦術的にもそうですが、精神的な部分で成長させてもらいましたので、そこがやはり僕の原点です。(プロ1年目の)2001年ですから」
――02年から原博実監督(現・日本サッカー協会専務理事)の下でFC東京の不動のレギュラーとなりますが、その経験はのちのキャリアにどのように役立っていたのでしょうか。
「まずは原さんが2年目の僕を抜擢してくれたおかげで、いまの僕があります。あのまま試合に出られずに終わっていた可能性もあります。原さんは面白い方で、スペインサッカー、攻撃サッカーを掲げてやったわけですけれど、これが個人としてもチームとしてもうまくマッチして、充実した2002年でした。特に2002、3年のサッカーは、やっていて本当に面白かったですね。それにあたって、プロ1年目は2試合しか出られなかったですけど、フィジカルコーチの矢野(由治)さんと体を作りながら、(長澤)テツさんとサッカーの基本、試合に出るための練習をずっとやってきた実感がありました。それが(2年目の)ベースになって、試合に出させてもらったので、そこの成長が一番大きかったんじゃないかなと。試合に出る喜びも、試合においての難しさも分かりましたし、試合の中で厳しいときの精神的なコントロールもそうですし、いろいろな意味で支えになったと思います」
――聡明なゲームメーク術や戦術理解度の高さなども、FC東京時代の経験が大きいのでしょうか。
「いろいろなチームで、いろいろなことを経験して、いろいろな選手とプレーして…やはり経験だと思います。最初からそんなことはできなかったし、むしろ若いころは好きなようにやっていたほうですから(笑)。FC東京では自由にやっていましたし、ポジションも前目でしたからね。それがチームのことを考えるようになって、バランスを取るようになって、カバーするようになって。チームの中での役割であったり、組み合わせであったり、うまくいかないときも含めて、本当にいろいろなところから学べるものです。『バランスって大事だなあ』というのは、いまでもつくづく思います」
――「面白かった」FC東京時代のサッカーについて、印象に残っている試合はありますか。
「すごい試合ですが、フロンターレ戦はいまでも忘れられないですね。1-4から5-4にひっくり返したあれはすごく覚えています(※1)。味スタでの多摩川クラシコ、負けられない試合。それが1-4になってしまったのですが、それでも逆転できる雰囲気があったというか、サポーターの皆さんの雰囲気が、僕らを乗せてくれた感じでした。劇的というか、FC東京としては歴代の中でも印象に残る試合だと思います。あとはナビスコカップ優勝(※2)。準決勝でも決勝ゴールのアシストをしたにもかかわらず、決勝には出られず、(ベンチ入りもできず)上から見ていた思い出もあります(苦笑)。ほかにも、試合に出られずにひさびさに出たときのサポーターの声援がすごくて、鳥肌が立ったことも忘れられないですし、(FC東京には)本当にいろいろな思い出がありますね」
※1:06年11月11日・J1第30節・川崎F戦、味スタ。49分まで1-4だっ たが、51分の戸田光洋のゴールを皮切りに4得点を奪い、5-4でFC東 京が勝利。宮沢はチーム4点目の同点弾を決めている。
※2:04年11月3日、ナビスコカップ決勝・浦和戦、国立。延長まで0-0 で進んだ試合は、PK戦4-2でFC東京が初戴冠を果たした。