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その名を刻んだ男たちMF 8 宮沢 正史(FC岐阜)インタビュー③

2016/1/11 11:30



――この年に初めてJ1昇格プレーオフが導入されました。結果的にはJ2・6位のチームが優勝したわけで、世間的には「失うモノがない一番下のチームが」という風潮でしたが、むしろ逆なのですね。
「『もしこれで負けたら何を言われるか』、『どれだけの責任を負わされるのか』。試合前、選手の中でそういう話をしていたことは、いまも忘れられないですね。失うモノはある。たくさんの方がついている。だからこそ、勝ったときは本当にうれしかったんです。あれは忘れられないなあ…」

――林丈統選手の劇的決勝ゴールは後半、86分でしたね。
「とにかく『入ってくれ、入ってくれ』と…。やっぱりシャーレも、ただのシャーレではないですもんね。もちろん優勝できれば一番いいし、うれしいことなのでしょうけど、逆に“プレーオフ”というのが崖っぷちのトリニータらしいというか。大分は本当に何度もはい上がってきたクラブなので、いろいろな方の思いを背負って掲げましたよ」

――FC東京、大分のナビスコカップ優勝時に立ち会えなかったキャリアを顧みても、初の決勝の舞台でした。
「最初で最後。報われたというか、本当にうれしかったです。苦しんだぶんのうれしさもありましたし、感謝の気持ちもありました。だからあれが大分での一番ですね。難しい状況、ずっと押されっぱなしの試合。それでもトリニータらしく粘り強く守って、最後はみんなの思いがあの1点になったんじゃないかなと。本当にチーム力だと思います。若い選手が中心でしたし、運もありましたけど、田坂さんのサッカーに全員が信頼してついていっていたし、みんなの粘り強さはありました」

――積み上げてきた実感もありましたか。
「若いチームを育ててJ1に昇格しましたし、(13年に)J1にも挑戦できました。厳しい1年になるのは最初から分かっていたことです。何とか残留できるようにやっていた中で残念ながらチームとしても個人としても力が足りず、降格してしまいましたが、とても意味のあるJ1での1年でした。残念な結果ではありましたが、若い選手たちもクラブも、トリニータサポーターも『もう一度J1に戻りたい』という気持ちを強くしたと思うし、それはとても大事なことだったと思います」

――個人的にも、田坂監督との出会いは大きかったですか。
「田坂さんにキャプテンに任命されて、あの年齢でも『まだ成長できる』と言われました。田坂さんと出会ってまた成長できた。ピッチの中で、この年齢までプレーできた大きな要素だと思っています。田坂さんは、守備のポジショニングであったり、チームの持っていき方であったり、個人戦術からチーム戦術まで、サッカーの本質を追求している監督なので、若い選手にとって伸びる監督でもあり、ベテランにおいても再発見させてくれる方です。いろいろな監督のやり方があるとは思いますが、より(サッカー観が)細かくなったと思います。本当に感謝していますね」

岐阜へ。プレーを続けるために

――大分で引退したい気持ちも持っていたそうですが、翌14年に岐阜に加入した理由は何だったのでしょうか。
「大分がダメ(契約満了)になったときに、いち早くFC岐阜の方からお話をいただきました。『まだやりたい』という気持ちが強かったですし、妻の実家が岐阜県下呂市なのでこれも縁かなと。それに30歳を越えてからは1年契約の連続だったので、どう長くプレーするか、プレーヤーとして、人として、成長するためにどうしたらいいのかということも常に考えながらやってきました。そういう思いで、岐阜に感謝しながら、2年間プレーできて良かったと思っています」

――14年11月15日、J2第41節・松本戦(3○1)では、自身8年ぶりのゴールも決めましたよね。
「あれ、実はうれしかったんですよ。しかも右足で(笑)。東京時代から点が取れずに、周りのいろいろな方からも言われていたんですけど、まさか右足であんなシュートが入るとは思わなかったので。もちろんポジションがだんだん下がっていたことや、FKを蹴らなくなったこともありますよ?でも子どもにも言われましたからね(笑)。毎試合のように『点決めてね』、『はい、はい』という感じだったので、(娘も)見てくれたと思います。それに、あの試合は印象に残っているんです。(岐阜が)5連敗したあとのホーム最終戦で、J1昇格を決めた松本山雅に対して、ナンちゃん(難波宏明)が左足ですごいシュート(先制点)を決めて、『じゃあ俺もか』と(笑)。うれしかったですね」

――加入した14年はラモス監督が就任し、岐阜の改革元年でもありましたが、大分時代と違う使命感のようなモノは持っていましたか。
「読売と日産の試合をよく見に行っていた自分としては、子どものころから憧れていたラモスさんと一緒のチームで、監督として指導を受けるとは思いもよらなかったですし、そういう年に呼んでもらえてうれしかったですね。それにあたって若手を育てるというのはずっと考えていたことですが、まだまだ足りない部分もたくさんあるので、岐阜のためにも、個人のためにも、(若手が)成長してほしい。FC岐阜は発展途上のクラブです。今年(15年)はJ1ライセンスを取ることもできたので、来年、どう昇格争いに関わっていくのか。そのためにポテンシャルを持っている若い選手たちが、それを伸ばしていけるか。ストロング(ポイント)を作っていかないと上にはいけないので、『ここは絶対に負けない』というモノを(選手が)伸ばしていってほしい。それを伸ばせるかどうかは自分自身。こちらが教えても、その選手がその気でなければそれで終わってしまいますから」

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