Photo: Atsushi Tokumaru
遠藤が見せた粋なはからい
良くも悪くもマイペース。スタンドプレーを人一倍嫌うはずの遠藤が表彰台で見せた渾身のパフォーマンスに、明神智和の10年間の重みが凝縮されていた。
「それだけの(価値がある)選手ですからね」
天皇杯決勝で宿敵・浦和を1-2で下して、表彰台に上ったG大阪の選手たち。昨季三冠を独占して以来、不言実行の主将がトロフィーを掲げる光景にもはや、目新しさはない。
ただ、14シーズンのJリーグMVPは、とっておきのサプライズを用意していた。
「いい男ですね。驚きました。普段はなかなか気持ちを出さないヤット(遠藤)なので」(明神)。
高円宮妃殿下から受け取ったカップを一旦、チームメートに預けた遠藤がくるりときびすを返すと、誇らしげに親指で示した背番号は『17』。今季限りでチームを離れる僚友への思いを胸に、明神のユニフォームを着込んでいたのだ。
ラスト万博で起きた明神コール
「長い間ガンバを支えて、いいときも悪いときもチームを引っ張ってくれた」(遠藤)。
05年にチームは悲願のJ1リーグ初タイトルを獲得。当時チームを率いた西野朗監督の下、魅惑の攻撃サッカーでJリーグを席巻し続けたG大阪の代名詞は“黄金の中盤”が織りなすパスサッカーだった。天才パサーの二川と司令塔の遠藤なしにあり得なかったパスワークを陰で、06年から支え続けたのが明神だった。
ボランチというサッカー用語の発祥の地、ブラジルではこのポジションを“ピアノの運び手”と称することがある。二川や遠藤らが華麗なピアノ奏者として注目を集めることができたのは、黙々とピアノを運び続けた明神あってこそ。だからこそ、09年に明神がJ1通算350試合出場を果たした当時、西野監督は「自分が理想とするサッカーにおいて、いなければいけない選手」とさえ言い切った。
いぶし銀。黒子。汗かき役。職人。そんな言葉のすべてが似合う日本屈指のボランチは、万博記念競技場に詰めかけた大勢のサポーターを守備で魅せることは珍しくなかった。感動的なまでの運動量でスペースをカバーしたり、抜群の読みで攻撃の芽を摘んだりすると万博劇場に歓声が沸き起こる。「地味なプレーかもしれないけど、そういうところを見てくれている人が多いのは本当にうれしい」と明神。
チーム最年長の37歳が、最後の勇姿を披露したのは奇しくも、万博記念競技場でのラストマッチとなる昨年12月に行われた天皇杯準々決勝の鳥栖戦(3○1)だった。ピッチに送り出されたのは試合終了間際の84分。しかし、ゴールネットの補修というハプニングで10分近いロスタイムが加わったのは、万博記念競技場が明神に対して用意した粋な“アンコール”だったのかもしれない。そしてゴール裏のサポーターも準決勝進出の余韻に浸るよりも、真っ先に「明神、オレッ!」と盛大なコールで濃密な10年間への謝意を見せた。
「ヤットだけでなく、本当に良い仲間に恵まれた」。元日に味の素スタジアムで宙を舞った明神だが、単に感傷に浸っているだけではない。「決勝でベンチから外れたのは一選手として悔しい。それを次のシーズンに晴らしたい」
明神智和、37歳――。まだ内に秘めた闘志は、燃えたぎったままだ。 ( 下薗 昌記)