けがに対しての悔しさはなかった
――そもそも大学卒業後に直接ドイツに行こうと思った理由は何だったのでしょうか。
「日本に帰ってくるときもそうなのですが、チームがオファーを出してくれないと僕たち選手はプレーすることができません。セレクションに行くわけではないので。オファーをいただけたドイツは、文化もあってクオリティーも高いので、いろいろなところが勉強になると思い、チャレンジしました」
――ドイツへの憧れが強かったということなのでしょうか。それとも、いくつかオファーが来た中でドイツに行ってみたいと?
「オファーをいただけたことが大きかったですね。もともとドイツのサッカーをずっと見ていたわけではないんです。ただ、海外といってもいろいろあると思いますが、中堅国ではなくて欧州トップリーグでやりたかったというのはあります。その中でもドイツはトップレベルでしたし、ケルンからオファーをいただくことができたので、海外に挑戦してみようと思いました」
――海外挑戦への不安などはなかったでしょうか。
「まったく準備も整っていないまま、決断してからすぐに渡独するような形になりました。(ケルンからの)オファーはもう少し前からいただいていたのですが、決断してからがあっという間だったので、不安というか、行く前からいろいろな苦労は出てくるとは覚悟していましたね」
――誰かに相談されたりは?
「あまり相談せずに決めました。チーム状況や、ドイツでケルンがどのような位置付けなのかという情報はもらいましたが、どのような決断をするべきなのかという相談はしませんでした」
――ドイツでは2部で優勝を果たし1部昇格に貢献しました。そんな中、開幕前のキャンプ中に左ひざのじん帯を断裂する大けがを負ってしまいましたが、異国の地でそのような状況になったときの心境はどのようなモノだったのでしょうか。
「心境の面では、プレーすることと(難しさは)変わらないと思います。練習で(意思を)伝えることが難しいのと一緒で、けがしたときも意思を伝えることが難しい。日本語で話すのとは違いました。ただ、そのような難しさはどこに行っても、どのタイミングでもあることなので、徐々に勉強していくしか改善する方法はないと思います。そのような意味で、けがしたときに特別難しかったというのはなかったですね。環境としては一人で行っているので、練習ができない時期が続いたときは大変だったですが」
――もともと大きなけがをされたことはなかったと思いますが、ドイツに行ってけがをしたという事実はいかがでしたか。
「ドイツに行って大けがをしてしまったことに関しては、悔しさはありませんでした。ドイツに行ったのは自分の決断なので。ドイツに行ったからけがしたというわけではないですし、日本にいてもけがするときはけがをする。ドイツだからというのはありません」
――プレーができない葛藤というのはなかったのでしょうか。
「選手として、けがとは付き合っていかないといけません。そのような意味ではその時間に何ができるかが大事です。プレーできなかったときのフラストレーションや、やりたいことができないもどかしさというのはどの選手にもあります。時間をかけて治すしか方法はありませんし、自分で日々のトレーニングを行いながら、回復を待つしかありませんでしたね」
――その大けがから復帰して、14-15シーズンの第7節・フランクフルト戦(2●3)でついにブンデスリーガ1部のデビューを果たします。実際にピッチに立ってみて衝撃を受けた選手などはいましたか?
「すごく能力の高い選手はたくさんいました。特に1部ではそうでしたし、上のほうに行けば行くほどすごい選手はたくさんいます。ブンデスリーガの1部で活躍している選手はみんな能力が高かったですし、日本人が持っていない能力を持っている選手もいました。それは身体能力の部分もあると思います。自分がそうなれるわけではないですが、(そのような選手との対戦を)経験できたということは大きかったですね」
――ケルンでは大迫勇也選手とチームメートでしたが、助けられた部分も大きかったですか?
「やりやすさはありました。言葉が通じますし。日本人なので感覚的に合う部分もあったので、そこはすごく助けられました」