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再起を図り移籍を志願。容認した親心
「淳吾、いつマリノスに来るんだ?」
嘉悦朗前社長は顔を合わせるたびに、本気とも冗談ともとれる発言で藤本淳吾を口説いていた。当時、名古屋に所属していた藤本は、それをのらりくらりかわし続けた。清水から名古屋に完全移籍した10年オフは横浜FMも藤本獲得に乗り出した。しかし、競合した名古屋に敗れた。冒頭の台詞は、それでも獲得をあきらめていないという姿勢の表れであった。
その思いは3年後に結実する。名古屋との契約が切れた13年オフ、再びラブコールを送って横浜FM加入へと至った。「嘉悦さんはいつも自分のことを気にかけてくれていた。この人を優勝させたいと思った」(藤本)
ジュニアユース以来となるトリコロールのユニフォームに胸を躍らせた。14年の開幕戦(大宮戦・2○0)、勝ち点3への口火を切る先制ゴールを挙げたのは背番号25の藤本だった。得意の左足から放たれたシュートは、同級生で古い付き合いの栗原勇蔵が「(藤本)淳吾にしか打てない軌道」と絶賛する鮮烈な一撃となった。念願の古巣復帰を果たし、藤本は明るい未来への一歩目を踏み出した。
しかし15年になると状況は暗転する。開幕当初こそ先発出場を続けたが、それも中村俊輔の負傷というエクスキューズを受けてのこと。新任のエリク・モンバエルツ監督はサイドMFにスピードと縦への突破力を求めたが、それは藤本のプレースタイルと合致しない。徐々に出場機会を減らし、シーズン終盤はトップ下やボランチのサブに甘んじた。
本来ならば今季は3年契約の3年目だが、藤本は自ら戦場を移すことを希望。清水時代の恩師である長谷川健太監督率いるG大阪からオファーが届き、横浜FMは選手の意思を尊重してこれを受諾した。
藤本ほどの実力者をベンチに置いてくすぶらせておくわけにはいかない。上位進出する上では手強いライバルとして立ちはだかるだろうが、移籍容認はチームと嘉悦前社長ができる最後の親心であった。(藤井 雅彦)
藤本 淳吾(ふじもと・じゅんご)
1984年3月24日生まれ、31歳。173cm/69kg。神奈川県出身。横浜FM.JY→横浜栄FC→桐光学園高→筑波大→清水→名古屋→横浜FMを経て、今季G大阪に加入。07年に日本代表に初選出され、国際Aマッチ通算13試合出場1得点。J1通算278試合出場51得点。