Photo: PICS UNITEDアフロ
20年後の残り香 文・西部 謙司
まだ誰も見ていない領域へ
エレガント。違う言い方をすると、サッカー史上最もカッコ良い人かもしれない。
もう監督も退いて“余生”に入っていたころ、あるTVのインタビューを見ていて笑ってしまった。テーブルの上にはフィールドを模した緑の布が置いてあった。戦術板ならぬ戦術布。ヨハン・クライフは、それを手前に引き寄せてセンターサークルに選手を模したコマをポンと置く。「ここが戦術の要なんだ」と。いわゆるクワトロ(4番)、ドリームチームならジョゼップ・グアルディオラのポジションだ。そして、ウイングの役割や偽9番について語っていったのだが、戦術布の手前3分の1はテーブルから垂れ下がったままだった。
使う気がないのだ。最初から、そこは。
バルセロナの監督としてドリームチームを率いていた当時、GKアンドニ・スビサレッタには、ペナルティーエリアから出て“リベロ”として前のめりのDFの背後をカバーするように指示が出ていたという。攻撃時にもパス回しを助けろと。まだGKがバックパスを手で処理できた時代である。スビサレッタは当然の疑問を監督に投げた。
「こんなに前に出ていて、ロングシュートを決められたらどうするんですか?」
「そのときは、相手に拍手すればいい」
冗談じゃない! 大観衆の笑い者になるのはGKの俺だぞ。と、スビサレッタが思ったかどうかは知らないが、普通はそうだろう。もちろんクライフにも分かっていたはずだ。でも、関係ないのだ。戦術布の3分の1は無視していた男なのだ。1年に1回ぐらいは、そんなこともあるかもしれない。だが、そんなことにビビってどうする、お前が前に出ることで俺たちはもっともっとデカイことを成し遂げる。まだ誰も見ていない領域に突っ込んでいくのだ、と。まあそんなところだろうか。
誤解を歯牙にもかけず、二歩先を行く
「二歩先を行っている。一歩じゃなくて二歩だ」
あるオランダ人コーチがそう話していた。クライフは二歩先を行く。
現役時代、すべてが速かった。走るのも速いが、考えるのが速い。1手、2手、3手、常に先を行く。監督としても同じだった。
「走るのはボールであってプレーヤーではない。走る選手は良くない選手だ」
クライフはよくそう話していた。普通、走る選手は良い選手だ。でもクライフにとってはそうではない。良い選手が、もっと走ればさらに良くなるのでは? そんな千回ぐらい聞かれたであろう疑問にも自説を曲げなかった。「ボールを持っている限り失点することはない」
この言葉もそう。現役時代はスーパースター、監督としてはスーパーコーチ。でも、クライフはある意味、極論の人であり逆説の人だった。彼が二歩先を行っていたと理解できたのは、グアルディオラがバルセロナの監督になった20年もあとのことである。
いろいろなデータが示される時代になり、バルセロナが常に対戦相手より走行距離が短いことが明らかになった。本当に走っていないのだ。走るのはボールであり、ボールを走らせるためには選手は動き過ぎてはいけなかった。走っていないので、攻守の切り替えやゴール前で爆発的なパワーも使える。速く考え、ポジションを取り、ボールを走らせる。選手やチームが良くなればなるほど、動きたくても動けなくなる。どんどん無駄がそぎ落とされる。そしてエレガントになる。極論でも逆説でもなかった。
「私はアムステルダムで最初にベビーカーを押した男だろう」
二歩も先を行けば、ほぼ皆に誤解される。だが、そんなことは歯牙にもかけていないように見えた。戦術布の3分の1をいきなりテーブルから垂らしてしまったように。リスクを恐れるヒマもないみたいに。
ドリームチームでも、クライフの頭の中にあったことは実現していなかった。ようやく実現したころ、彼は二歩進んであっち側へ行ってしまった。凡人が恐れる敗北や失敗など、はるか後方へ置き去りにしたまま。選手としても監督としてもクライフと対戦経験のあるホルヘ・バルダーノは自伝の中で、クライフにドリブルで抜かれた感想についてこう書いていた。
「クライフに抜かれたとき、とてもいい香りがしたんだ」
いい香りがしたとき、いつも彼はもうそこにはいないのだ。