―その成長過程のチームの中で、昇格のキーマンを挙げるとすると誰になりますか?
「いまの状態であれば、(大前)元紀ですね。今季からキャプテンも務めているし、意識が変わってきていると思います。彼の良いところは点を取れるポジションにいてくれることですね。もう一人は、(チョン)テセ。開幕前のけがから戻ってきたということも大きいと思います。それから、GKの西部(洋平)。けがをしてしまいましたが、安定していたと思いますよ。かなり良くなってきている本田(拓也)もそうですね。組織に落ち着きを与えています。やっぱり、キャプテンの元紀と、ベテラン選手という感じになりますかね」
―J1昇格を成し遂げるため、ここからどういうサッカーを見せたいですか?
「もう一度やれることをきちんと整理しながら、組織的な、モビリティーのある攻撃ができるようになればいいかなと思います。たとえば、縦のクサビを入れて相手のDFが中を締めれば、オープンな攻撃を使うといったことも大切です。それから、クロスに対しての入り方も良くしていかなければいけない。縦パスも入るようになったし、サイドチェンジからクロスという攻撃もできてきているので、そういう部分でも点を取っていけるように精度を上げていきたいです」
―ところで小林監督も登場されている『蹴球一徹』という本が2月に出ました。その中には毎日の取材に丁寧に対応するというエピソードがいろいろと紹介されています。これは噂なのですが、山形時代(08〜11年)に小林監督の話が長過ぎて夏場のインタビュー中に倒れた記者もいると聞いたことがあるのですが?
「嘘に決まっていますよ(笑)。話が長いのではないんですよ。いろいろなことをみんなが聞くからね。本当は早く帰りたいのに(笑)。まあ、ちょっと話は長いんだろうけど(笑)」
―それから『蹴球一徹』には山形時代にいかにサポーターに愛されていたかということに多くのページが割かれています。
「山形には良いときに行ったと思うんですよ。その前の年は福岡の強化部長を1年やっていたので、J2を見ていました。山形の戦い方のイメージもあったので、入り方が良かったです。就任会見では『J1に上がるために来た』と宣言しました。リーグ上位につけて“台風の目”になって上がれれば良いかなと思っていたんですけど、それをなんとか現実のモノにできました。
それからJ1に3年いたんですけど、J1とJ2は違うんだということが山形の人に広がりました。『J1でサッカーの面白さを生で体感してほしい』と思っていたので、その役割が果たせたことは良かったと思います。(清水では)この本に書かれていることと、まったく同じようにしようとは思わないですけど、自分のように外から来た人間でも、エスパルスを愛することもできるわけです。山形のように早く地域に溶け込みたいし、地元の人とつながりを持ちたい。あとはサポーターのみなさんに感動や喜びを与えたいと思っています。オリジナル10のエスパルスというチームが苦しんでいるところに、自分の経験が生かせてJ1に上げることができれば幸せです。
それに、こういう本を作ってもらって幸せですよ。私にとっては一生の宝物。これで終わることなく、サッカーの指導を続けていきたいです」
聞き手:田中 芳樹 取材日:4月21日
Photo: © J.LEAGUE PHOTOS
小林 伸二(こばやし・しんじ)
1960年8月24日生まれ、55歳。長崎県出身。島原商高→大阪商業大を経てマツダSC(現・サンフレッチェ広島)でプレー。現役引退翌年の91年にマツダSCのコーチに就任し、指導者生活をスタートした。93年からは4年間、広島ユースの監督を務めるなど、若手育成にも定評がある。