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「何とかしなければ」。強い衝動が巻誠一郎を突き動かした。4月16日未明に起きた“本震”の直後に実家近くで避難誘導を行うと、間髪を入れずに復興支援サイトを立ち上げ、広く協力を呼びかけた。その発信力はサッカー関係者だけでなく、多くの人を巻き込んでいった。
あれから1カ月。リーグ再開を前に、火の国の熱き男は故郷への思い、そしてリーグ再開へ向けた覚悟を語った。
聞き手:井芹 貴志 取材日:5月4日
チームワーク、人と人とのつながりがあったから
――まず、巻選手自身の被災状況について教えてください。
「1回目(4月14日21時26分の前震)は、自分が経営する宇城市のフットサル場で、子供たちのサッカースクールをやっている途中でした。(地震発生後に)保護者の方たちに迎えに来てもらって子供たちを帰し、それ以外に大人のお客さんも結構いたので、みんなが帰る夜の1時くらいまでは残っていました。それでも帰れない人もいたので、そういう方は宇城市の実家の近くに避難してもらいました。(16日1時25分の)本震のときは実家にいました。熊本市内にある自宅は2日後くらいに見に行ったんですけど…、まだじっくりとは見ていないです」
――本震のあと、周囲の状況を見てどう感じましたか?
「実家の周りの家は何軒もつぶれていたので、すごい状況になっているな、ただごとではないぞと思いましたね。千葉に住んでいたときに東日本大震災を経験しましたけど、あのときは周囲もマンションが多く、(倒れることはほとんどなかったので)被害を実感することはそんなになかったんです。でも今回は周囲の家や知り合いの家が倒壊していて…。『何かしなきゃ』というか、『何とかしなきゃ』と思いました。前震のあと、サッカー仲間だけではなくて、千葉に住んでいたときの友人や大学、高校、中学時代の友人、サッカー以外の友だちとかから『何かできることがあったらやるよ』というメールがたくさん届きました。でも、そう言われても、現地では大きな余震が続いている状態でしたし、お願いすることはほとんどなくて…。本震が起きるまでの間は、とりあえず『ありがとう、無事だから』というやりとりをしていました。その間に、水も止まったりしたんです」
――巻選手の動きとしては、本震の直後に近隣住民を誘導して避難させたという報道があって、その後は支援物資集めを始めたようですが?
「物資集めに関しては、