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愛媛での1年間がサッカー人生で1番大きかった
――そういったメンタルを持てるのは原川選手の強みでもあると思います。川崎Fに来てからもプレーが高い水準で安定しているように思います。
「『安定感が課題だ』とずっと言われていました。昔はトップ下とかサイドでプレーしていて、高校からはトップに入ったりと攻撃的なポジションでした。14年に愛媛に期限付き移籍してからも最初はシャドーでプレーしていたのですが、人が入れ替わる中でボランチに変わったという感じです。そこでちょっとメンタル面も変わったというか」
――愛媛での1年間が大きかった?
「今までのサッカー人生で1番大きかったです。ところどころ代表選出で離脱したりもしたのですが、結果的に32試合に出場しました。京都での1、2年目はなかなか試合に出られなくて、極端に言ったら勝ち負けよりも自分が目立つことが優先でした。試合に出ていない選手がそう思うのは自然なのかもしれないですけど、その状態から愛媛へ行って試合に出始めることで、チームが勝つことからプレーを逆算するようになりました。ボランチはそこがすごく大事だと思うので。いろいろなことがやれるというか、守備も意識してやるようになりましたし、あとは単純に週に一回試合があるというルーティーンが体に染み付きました」
――その愛媛への期限付き移籍というのはどういう形で決まったのでしょう?
「当時愛媛の監督だったマルさん(現・京都監督の石丸清隆氏)が京都の人ですし、愛媛のGKコーチに平井直人さん(現・京都GKコーチ)がいたのですが、僕が京都ユースのときのGKコーチだったんです。それで、平井さんが呼んでくれた、という感じです」
――石丸監督といえば守備から入って、“戦う”ことを強調する印象です。
「その印象は強いですね。守備から入るというスタンスはU-23日本代表の手倉森監督と同じですし、良い守備から良い攻撃があるというスタンスも一緒。(愛媛での経験が)代表につながっているというのはあるかなと感じています」
川崎Fのサッカーを意識せずにできたらA代表でも通用する
――翌年に復帰した京都では愛媛と同じ10番が用意されていました。
「あまり背番号は気にしないんですよね。10番タイプかと言われるとまた違うので。『8』とか『6』とかのほうが落ち着きます。でも、背番号のことよりもそのときのチーム自体が全然ダメで。最終的にJ2で17位。これまでのサンガの歴史の中で1番悪い成績でした」
――そういった1年を過ごして、そこから五輪開催年に川崎Fに来た理由というのは?
「10番を背負った所属チームを17位で終わらせてしまった責任感もありましたけど、年齢を考えても若くはないですし、自分の成長を考えたときに、J1でやりたいというのはありました。川崎Fのサッカーは自分の特徴に合うとも思っていたし、そこで決断しました」
――川崎Fは、能力の高い選手が多く特殊なサッカーをしますが、出場できる自信はありましたか?
「競争相手に誰がいるかとかはあまり考えなかったです。時間がかかったとしてもそこまでたどり着ける自信はあったので。移籍を決断する上で試合に出られなさそうとか、そういうことは考えませんでした」
――「代表にいくためにはJ1」と?
「そうです」
――実際に川崎Fに来てから成長していると感じる部分は?
「川崎Fは本当に小さなところにまでこだわります。トラップの置き場所やちょっとしたパスの質、そこが習慣になったらもっと自分のプレーがラクになるだろうなと思っています。まだ、意識しないとできないレベルですが、何も考えずにそういうことができるようにならないといけないと感じています。それができればA代表で通用するレベルになるとも思っています」