『韓国や中国の環境はメンタルが強くないと耐えられない』
―京都に加入してからは、「この環境でやれるのが幸せ」とたびたび口にしていますが、海外の環境は厳しいことが多かった?
「韓国はサッカーチームが軍隊みたいになってしまうんです。監督が来たらみんなが手を後ろに回して下を向いたり、若いヤツは殴られたり。14年のACL準決勝でウェスタン・シドニー(豪州)と対戦したときに、僕が決定的な場面で3回ぐらい外してしまった。そしたら、それから1カ月間、ずっとセカンドチームに入れられてしまいました。毎日2部練習で、グラウンドもボコボコ。名前も知らないような若い選手しかいないんです。本当は逃げ出したかった。でも、そこで過ごしている間にセカンドチームの選手の名前を全部覚えて、ブラジルレストランに若手を連れて行ったりもして。練習でもずっと声を出していた。通訳もいないんですけど、セカンドチームの監督がたまたま英語を話せて、すごく助けてくれたことも大きかった。でも、セカンドチームだからめちゃくちゃ走らされる。もう、サッカーじゃない(笑)。その状態で1カ月を過ごしてからチェ・ヨンス監督に呼ばれて、『監督には従え』というようなことを言われて。『そういうことなんだな』と思いましたね。自分はそんなつもりはなかったんですけど、監督から見れば調子に乗っているように見えたのかもしれない。でも、そのあとに『絶対に必要な選手』と褒め倒されて(笑)。チェ・ヨンス監督のことは嫌いになれないんですよね。本当に公平に見てくれるし、誰にでもチャンスをあげる監督なので」
―中国に移籍してからはどうでした?
「私生活のストレスが尋常ではなかったです。とにかく人が多いし、飛行機に乗るにしても高速鉄道に乗るにしても、必ず遅れるんですよ。しかも、1時間とか2時間。だから、だいたい朝早く出発しないといけなくて、移動がとにかく大変。遠征先のホテルでも中国人が好きなモノしか作ってくれないから、ほぼ何も食べられないんです。見たことないような食べ物が出てきて。僕が食わず嫌いなわけではないですよ。アイスランド人とかブラジル人もチームにいたけど、外国籍選手は誰一人食べようとしなかった(笑)」
―普段の食事はどうしていたのですか?
「奥さんが日本からお米とか冷凍食品とかをたくさん送ってくれていたので、それを食べていました」
―プレー環境に関しては中国では恵まれていたんですか?
「いや、恵まれてはいないです。中国人が大事にするのは、見えるところをどれだけすごくするか。たとえば、京都には60億円で連れてきた選手はいないけど、スパイクや練習着などすべてが用意されていて、練習着も洗ってくれている。すべてにおいて、『選手のために』という環境ができている。それに対して、中国はスーパーな選手がいるけど、自分たちで洗濯をしなければいけなかったり、スパイクも自分で持って行かないといけなかったり。忘れ物をしたらアウトです。スタジアムはお湯が出ないから、シャワーも浴びられないですし」
―そういう面では韓国でのほうが恵まれていた?
「韓国のほうがプロとしてサッカーができる環境です。でもどちらにしろ、日本人が韓国や中国に行くと、相当メンタルが強くないと耐えられないと思います」
『ゴメがいなければ、自分の中でもっと葛藤していた』
―さて、京都に加入した今季ですが、シーズン序盤はけがなどでもどかしい思いもしたと思います。自身のプレーに手ごたえを感じ始めたのは、いつごろからですか?
「やはり新しいチームに入ると期待をされる。自分の中では『実力以上のものを見せよう』という気持ちはなかったけど、自然にそういう部分も出てしまっていました。その中でけがもあったし、移籍が決まる前は練習ができていない時期もあった。チームには申し訳なかったですけど、なかなか思うようなプレーができなかった。でも、清水戦(J2第11節・2◯1)で先発に入ったときに、『特別なことをするのではなく、いま自分が持っているものをぶつけよう』と思ったんです。持ってないものを出そうとしても、何も生まれない。それで、清水戦で『こうすればいいんだ』という感覚をつかんで、そのあとの第12節・千葉戦(1△1)で初アシストしてからは普段どおりにプレーできるようになりました」
―それ以前の試合でも、ボールキープなどでは“J2レベルではない”プレーを見せていました。
「でも、そのころは葛藤があったというか…。『チームの力になりたいのに、何一つできていない』という気持ちがあった。自分の能力は自分が一番分かっています。ドリブルに入ったら絶対に取られない自信があるし、そういう良さは出せていたんですけど、やはり結果につながらないと満足できない。このチームで『自分が絶対的な存在にならないといけない』という思いもあった。でも、それは自分で決められることでもないし、『自分が絶対的な存在だ』と思ってしまうのもダメ。でも、ならないといけない。そういうイヤな葛藤があったんです。それが自分の中で自然に落ち着き始めてから、良い方向に向かってくれた感じです」
―いまの京都にはもう一人、攻撃のキーマンとなっている堀米選手がいます。彼の存在も大きかったのでは?
「大きいですね。ゴメ(堀米)にはよく言っているんですけど、僕らが毎試合結果を残すことは絶対に必要なことなんです。それは、チームのことを考えていないとか、僕らが上に行くためにということではなくて、毎試合結果を残さないと選手として成長できない。僕も堀米も。二人ともそれぐらい能力があると思っています。一番悪いのは、活躍はするけど試合に負けること。山口戦(第25節・1△1)は僕が有田にアシストして引き分けて、町田戦(第29節・1〇0)は堀米が有田にアシストして勝って。そうやって、毎試合何かしらの結果を二人とも残さないといけない。僕とゴメのラインなら、その結果が出やすくなる。本当にゴメがいたことで、僕に余裕が生まれたというか、ゴメがいなければ、自分の中でもっと葛藤していたと思います」
―堀米選手は開幕当初、ひざの負傷で離脱していました。二人の相性の良さはいつごろから感じ始めたのですか?
「僕は最初に京都のメンバー表を見たときに、『コイツの顔はたぶんうまいな』と思っていました(笑)。それに、アイツはけがをしていたから練習場に早く来ていて、風呂場に入ったら座っていたことがあったんですけど、体を見てあらためて『コイツはうまいな』と思った(笑)。直感したとおりでしたね。やりたいことが、言葉で言わなくてもできる。東京V戦(第27節・2〇0)の(自分がアシストした)ゴメのゴールなんかは、ボールを止めた瞬間に『そこに味方がいるといいな』と思ったらアイツが現れたんです。あの場面は、あのタイミングで、あのスピードでないと相手に引っ掛かる。分かってくれているんです」
―日ごろから堀米選手も『セルくん(エスクデロ)は思い描いたとおりのプレーをしてくれる』と話していますし、エスクデロ選手も『ゴメは恋人みたいなもの』とやりやすさを口にしています。
「ゴメがボールを持ったときは、『僕だったらどうするか』と考えることができるんです。僕がもう一人いると思ってやっている。一緒にプレーしていると、すごく楽しいですね」
―堀米選手は技術の高さはもちろんですが、相手ボールのときもハードワークできるし、気持ちも出せる選手です。
「身長が高くないし、走ることでカバーしようとしているんだと思います。それでも、あれだけ技術があってうまければ、『守備なんかしなくていい』と思う選手はたくさんいる。(そうなっていないのは)マルさん(石丸監督)の存在があるからだと思います。マルさんが愛媛時代(堀米が所属していた14年)にああいう選手に育てたんだと思うし、マルさんは本当に一人ひとりのことをよく考えてくれている監督。『マルさんのために』と思う選手がたくさんいるんですよ。それが、ゴメの中でもすごく大きいんだと思います。マルさんが連れてきた選手なのに、『アイツはうまいけど守備をしない』なんて言われたら、ゴメはすごくショックを受けるはず。僕もそう。マルさんに連れてきてもらったのに、シーズンが終わってJ2のままだったら、もう顔を上げられない。絶対にJ1に連れて行きたいです」
―キックオフ直前には、堀米選手と並んでピッチをダッシュするのが恒例になっています?
「あれは、韓国にいたときからずっとやっていることなんです。アウェイでもホームでも。13年の開幕戦からですね。あのダッシュでいろいろと分かるんです、その日の調子が。それで、ゴメが『俺も走る』と言い出して、『じゃあ、行こうか』と(笑)。僕が何のためにやっているかはゴメに説明しているし、ゴメもあれをやり出してから『調子が良い』と言っています」
③へつづく