『SAGAWA SHIGAの活動停止は大きなショックだった』
―今回のインタビューでは、あらためて清原選手の経歴を振り返らせていただきます。清原選手は学生時代、帯広北高、札幌大でプレーしましたが、プロを意識するようになったのはいつごろですか?
「サッカーを続けるうちに、プロになりたいという思いが湧いてきました。地元のコンサドーレ札幌から声は掛からなかったのですが、サッカーは続けたかったので、道外に目線を広げてチームを探しました」
―サッカーをあきらめる可能性もあったとか。
「高校から大学に上がるときですね。別の道を目指そうと(北海道)教育大を受けたのですが、落ちてしまい…。行くことが決まった札幌大はサッカーが強い大学だったので、またサッカーを続けてプロを目指そうと。もし教育大に合格していたら、先生をやっていたかもしれません(笑)」
―大学卒業後の10年にSAGAWA SHIGA FC(以下、SAGAWA)に加入します。加入のきっかけは?
「J2の何チームかに練習参加させてもらった中で、唯一、JFLでテストを受けたのがSAGAWAでした。大学の監督とSAGAWAのコーチがコンサドーレで一緒にやっていたこともあり、紹介してもらいました。それと、大阪で開催された総理大臣杯でのプレーも観てもらっていたので、スムーズに練習参加できることになりました」
―JFLと言えば、一般的には仕事とサッカーを両立しているイメージですが?
「SAGAWAではサッカーに専念させてもらっていました。たまに仕事もありましたが、午前中の1、2時間くらいだけだったので、JFLの中では格段に恵まれている環境だったと思います」
―2年目の11年にJFL優勝を果たします。途中出場した前期第17節・町田戦(3△3)で活躍し、レギュラー獲得の足掛かりをつかみました。この試合は覚えていますか?
「覚えています。その年は最初から調子が良かったのですが、けがをしてしまい…。復帰戦がその町田戦でした。1年目は全然試合に出られなくて悔しい思いをしていたので、町田戦に懸ける思いは強かったです」
―JFLで優勝を経験して、さらに上の舞台で戦いたい欲も生まれてきましたか?
「もちろんJ2でやりたい思いはありましたが、純粋にSAGAWAで優勝したいという思いも強く持っていました。いまもそうですけど、自分をアピールすることが昔から少し苦手だったので、一つひとつ結果を残すことが大事だと思いながらプレーしてきました」
―ところが、翌年にSAGAWAが活動停止を発表します。この決定を聞いたときの気持ちは?
「人生の中でもショックが大きい出来事でした。いきなり『明日、集まってくれ』と言われて。給料が減るとか、そのくらいかなと思っていたら、翌日、かしこまった部屋に集められて。会社の専務が入ってきたときの空気が異様だったので、『これはおかしいぞ』と。そこで紙を配られたのですが、そこに『来年は廃部します』という趣旨の、硬い文章が書かれていました。そこで活動停止を知って、『あぁそうなのか』と」
②へつづく