Photo: Atsushi Tokumaru
この栄冠は“黄金時代”への第一歩
苦しい時代が続いた。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任した12年から5年、いやクラブとして9年間、浦和はタイトルから遠ざかっていた。
03年にナビスコカップで初戴冠。05年からの3年間は毎年タイトルを獲り、07年にはACLを制したが、その後は苦しい時代を過ごした。11年にはナビスコカップで決勝進出こそ果たしたが鹿島に敗れ、リーグでは降格の危機にも瀕した。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任した初年度から上位争いをしたものの、毎年のようにタイトルに手が届きそうで届かないシーズンが続いた。成績を見れば明らかにV字回復したが、「勝負弱い」、「シルバーコレクター」などと評価され、ネガティブな印象はなかなかぬぐえなかった。
それでもチームは着実に成長を続けた。たとえば世界クラスの外国籍選手などセンセーショナルな補強はなかったが、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の哲学の下、チームコンセプトに沿う選手を獲得しながらチーム力を底上げしてきた。指揮官が「毎年、新しい戦術を取り入れて戦ってきた」と話したようにマイナーチェンジを繰り返し、今季は特に素早い攻守の切り替えからプレスを掛けてボールを奪うサッカーが機能。それは攻撃的でありながら守備の際にはまずリトリートしていた12年と比べれば、まるで別チームのようだ。
そして現体制5年目にして、ついに獲得したタイトル。決して美しく勝利したわけではない。しかし、先制されながら追い付きPK戦での勝利。独特の戦術と攻撃サッカーを標榜するが、それを実現するために運動量、球際の戦い、規律を重要視する。鮮やかなサッカーを実現するために、泥臭いプレーをいとわない。そんなチームが泥臭く、やっとの思いで頂点に登った。
ただ、それはあくまで16年のルヴァンカップの頂点。阿部勇樹はミハイロ・ペトロヴィッチ監督へ「ほんのちょっと」恩返しできたと言い、その理由を「僕らも監督もさらに目指しているものがあるから」と続けた。あくまで第一歩。さらなる頂、すなわち“黄金時代”を目指し、浦和は戦い続ける。(菊地 正典)