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[名古屋]必然の凋落。一向に見えなかったビジョン/特集・それぞれのホーム最終戦

2016/11/7 6:00


 93年のJ開幕以来、J1で戦い続けてきた名古屋に訪れた24年目の悲劇。クラブ史上初となるJ2降格にも、ジュロヴスキー監督や涙を浮かべて場内を一周する選手たちにはスタンドから温かな拍手が送られていた。しかし、久米一正社長の挨拶が始まると激しい大ブーイングがスタジアムを覆っていく。ホーム最終節の試合後セレモニー。マイクをとおした謝罪の言葉は、誰もが抱えてきたフロントへの不信感の波で、ほとんど聞き取ることができなかった。
 その後に設けられた記者会見。久米社長は「あの大ブーイングが物語っていたとおり、フロント力が試された(シーズンだった)と思います」と切り出し、反省の言葉とともに頭を下げた。
 まず問われたのは、小倉隆史前GM兼監督の任命責任だ。「私が彼を監督に推薦しました。選手の獲得と見極めも含め、(前年の15年6月より)GM補佐をやっていたので、そのまま監督になったほうがスムーズに動くのではないか」。久米社長はそうあらためて説明したが、GM経験が1年にも満たないリーダーの下、闘莉王、本多、牟田らが流出し、選手補強もままならなかった。西野朗氏が率いた前年までの2年間で世代交代を謳い、“我慢の時期”を過ごしたにもかかわらず、経験を積んだ若手を手放し、それを支え続けた闘将までもが退団。もちろんさまざまなクラブ事情もあったが、編成のバランスは歪み、新人監督をサポートすべき二人のコーチも、一人は育成が専門、もう一人はプロの現場は初挑戦という陣容。そこに継続したクラブビジョンは見られなかった。
 夏場にはクラブワーストとなる18試合未勝利という状況に陥り、J1・2nd第5節・甲府戦(1○3)の完敗後にはサポーターが深夜0時近くまで居残る騒動に発展。そこで久米社長は「何があっても監督は絶対に代えない」と明言したものの、8月末にはその言葉とは裏腹に監督交代に踏み切った。小倉氏の全権監督就任と、このタイミングまで踏み切らなかった監督交代。急転直下の“二つの珍事”を顧みれば、そこにピッチ外のしがらみがあったことも想像に難くない。監督交代後のチームは絶望の淵から奇跡的な猛追を見せたが、結果的には“時すでに遅し”だった。
「人生は一代で終わりますが、名は末代まで残る。名古屋グランパスをJ2に落とした社長は誰だ、久米だと。オリジナル10のメンバーでこれまで一度もJ2に落ちていなかった名古屋を(J2に)落としたことは、末代までの恥だと思っています」
 久米社長はそう自らの非を認めたが、責任の所在がフロントも含めたクラブ全体にあったことは明白だ。GM兼監督の任命、歪んだチーム編成、遅過ぎる監督交代、一向に見えなかったクラブビジョン…。一体となれなかった必然の凋落に、“満員の瑞穂”は哀しみの感情であふれ返っていた。(村本 裕太)

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