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[特集・FC東京]紆余曲折の中で見えた希望の光/FC東京の2016シーズン

2016/12/9 6:00


Photo: Atsushi Tokumaru
泥沼にハマり短命に終わった第2次城福政権

 昨季、クラブ史上最多となる勝ち点63を獲得し、順位も最高タイとなる年間4位につけたFC東京。しかし、今季はマッシモ・フィッカデンティ監督とは契約を更新しない道を選んだ。そして、新たに指揮を執ることになったのが城福監督。かつてFC東京を率い、09年にはナビスコカップを制覇。しかし、翌10年には残留争いに巻き込まれ、シーズン途中で解任されていた。しかし、その後、戦力に恵まれているとは言えない甲府を指揮し、2年連続でJ1に残留させるなど、理想を追うだけでなく、現実的に戦う術も身に付けての再挑戦だった。
 プレシーズン、ACLのプレーオフでは順調な滑り出しを見せたFC東京だったが、J1開幕戦では大宮に0-1の敗戦。FC東京が開幕戦で敗れるのは09年以来、7年ぶりのことだった。その後もなかなか上昇気流に乗れないチームが泥沼に陥ったのは夏前のことだった。
 2ndステージの第1節・鳥栖戦(2●3)で後半ロスタイムの2失点で逆転負けを喫すると、第3節の福岡戦も後半ロスタイムの失点で1-2の逆転負け。続く柏戦(0●1)では決して出来の良くない相手に一瞬のスキを突かれると、さらに川崎F戦でも終盤の81分に失点し、0-1で敗れた。この試合の翌日、クラブは城福監督の解任を決断。新監督にはコーチだった篠田善之氏を据えた。
 その後は篠田監督が立て直したとはいえ、リーグ戦の順位は1st、2nd、年間ともに9位。ゴール数も前田の6点がチーム最多と、決して褒められたものではなかった。平均採点上位者に中盤から後ろの選手が並んでおり、守備陣の奮闘が目立ったシーズンだったと言えるだろう。
 また、今季補強した水沼らは主力にはなれず、駒野、ハ・デソンもシーズン途中に期限付き移籍でチームを離れることになった。室屋の獲得があったとはいえ、強化に課題が残ったのは確かだ。ただ、MOM獲得回数では中島が森重と並んで最多。小川、室屋、橋本なども含め、若い力の萌芽を感じられるシーズンでもあった。

Q.なぜ篠田監督は就任後に8勝2分2敗の好成績を残せたのか

A.戦い方をシンプルに整理。激しく戦う集団に変えた

 年間9位。FC東京の16年は、昨季の4位から下降し、またしても中位に終わった。可も不可もない、サッカーファンからすれば見慣れた定位置と映るかもしれない。
 しかし、勝ったり負けたりを繰り返した末の中位ではない。7月下旬に城福浩前監督が解任され、新たに篠田善之監督が就任して以降のリーグ戦の戦績は、8勝2分2敗。10月、11月のラスト4試合に関しては18チーム中で唯一の4連勝も飾っている。低迷していた城福体制から一転し、篠田体制以降は上昇気流に乗った。この巻き返しがなければ、さらに順位は低下していたということである。
 篠田監督が真っ先にチームに施したこと。それは、サッカーをシンプルに整理する作業だった。城福前監督の下で、FC東京は攻撃も守備も中途半端な戦い方となってしまっていた。明確な戦い方を失った選手たち。頭の中はこんがらがっていた。それを解いていくことが、篠田監督の仕事だった。
 チームに求めたのは、闘う姿勢。これまでも攻守の切り替えや球際の争いなど、重要事項としては挙げられていた。しかし、あれも大事、これも大事といろいろと列挙されて試合に臨んでいた以前に比べ、篠田監督はあえて多くを求めなかった。「苦しくてもとにかく前からボールに食らい付いていく。相手よりも必ず走り勝つ」(篠田監督)。それは、心身ともに弱っていたFC東京にとって、最も必要だった要素。戦術的な観点からはもちろんのこと、心を再び上向きにさせるためにも、シンプルに激しく、遮二無二プレーすることが重要だった。
 はたして、選手たちはタフさを取り戻していった。試合を消化していくごとに自主性も生まれ、前からプレスできない場面ではあえて引く選択を採ることも。当然、低い位置でも激しさは忘れない。いつしかどの試合でもFC東京からはアグレッシブさが感じられるようになった。
 小手先のプレーはいらない。テクニックも戦術も、目の前のボールを奪い、相手に走り勝つ上で成り立つ。もともと、うまい選手がそろっている集団。そこに無骨さが加わったのが、篠田トーキョーの素顔である。(西川 結城)

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