いまの自分が昔の自分を見たらだいぶ子供に見えるんじゃないかな(笑)
――鳥栖での7年間で1番印象に残っている試合は?
「いろいろとありますけど、J1昇格がほぼ決まったアウェイの徳島戦(11年J2第37節・3◯0)です。たまたまですけど、得点を取ることもできたので。徳島戦のことはよく覚えています。(赤星)拓さんがPKを止めた場面も、そのあとのガッツポーズも。トヨさん(豊田)も得点を決めた。みんな調子が良かったのを覚えています。みんなで良い試合ができて、その試合でほぼJ1昇格を決めることができたのはうれしかった。自分としても鳥栖で一つ『成し遂げることができたな』という感じだったし、その一員としてプレーできたことがうれしかったです」
――J1昇格1年目は下馬評が高くない中で、それを覆すような戦いぶり(J1・5位)でした。
「ずっとJ2にいたチームだったし、『それはそう見られるだろうな』、『当たり前だな』と思っていたけど、自分としては気にしていませんでした。ピッチで見せるしかなかったし、不安というよりも、毎試合楽しみながらプレーしていた。思い切りやろうという気持ちが強かったと思います」
――年齢を重ねて自身のプレーで変わったなと感じることは?
「いまは毎回しかけるのではなくて、周りも使いながらプレーしようという気持ちもありますし、チームのためにどうやってやるべきなのかを考えながらプレーするようになったと思います。余裕も若いときよりはあると思うし、練習の中で下の年齢の選手に怒ることもあります。言わないといけないところはしっかりと言う。そういうこともやるようになったかなと思います。本来、自分はそういうところはあまり言わないタイプだったと思うんですけど、その選手のため、鳥栖というチームのためになるべくやろうという気持ちです。自分が高校生のときは下の年齢の選手に何も言ってこなかった。そのことが少し後悔として残っているので、いまはそういう役割をこなそうと思っています。そういうところは自分の中で変わったなと思います」
――周りの選手はミヌ選手の姿勢を高く評価しています。
「姿勢というのは大事だと思います。口だけだったら誰でもできるし、それだと周りは付いて来てくれない。まずは姿勢で見せるしかないと思っていました」
――今季は主将を務めました。言葉で伝える難しさもあったと思いますが?
「それが一番難しかったです。いつも心配だったのはそっちのほうでした。クラブ行事が入ったりしていると、その何日か前からずっと考えていました。練習中の指示は簡単な日本語だから大丈夫でしたが、人が多いと緊張してしゃべれないタイプなので、イベントのときなどは難しかったです(笑)。自分でも本当は主将向きではないと思います。いまの自分が昔の自分を見たらだいぶ子供に見えるんじゃないかな(笑)」
――文化の違う国で主将を務める難しさは想像以上だったと思いますが?
「最初は不安が大きかったし、実際にやってみても難しかった。でも、周りのみんなが助けてくれたのですごく感謝していますし、良い経験だったと思います。サッカー人生の中で一度はやってみたかったので、鳥栖でそれができて良かったです。これからのサッカー人生でも、一人の人間としての人生においても、この経験を生かしていけるようにしないといけません」
軍隊のチームに入っても、自分がどれだけしっかりやれるか
――兵役というルールで鳥栖を離れなければいけないことはどう受け入れましたか?
「軍隊に行かなければいけない時期が近付いてきたときから、自分の気持ちとしては行くしかないなと決まっていました」
――ロンドン五輪代表候補だっただけに、最終メンバーに選ばれていれば兵役免除(※)でした。未練のようなものはありませんでしたか?
「そのチャンスをつかめなかったのは自分自身。自分の力が足りなかったと受け止めています。後悔というより残念ですね。ロンドン五輪だけでなくアジア大会もあったので、チャンスは2回ありましたけど、そのチャンスをつかめなかったことはすごく残念です。でも自分の力が足りなくてそういう形になっただけのことなので、後悔はしていないです」
※五輪3位以内、アジア競技大会1位など国際大会で結果を残せば兵役免除の対象となる。韓国はロンドン五輪で銅メダルを獲得している
――韓国代表で兵役免除についての話を選手同士ですることはあるのですか?
「逆に兵役免除されている選手たちが私のことを気にしてくれて、あまりそういう話題にならないようにしてくれますね。私と同じ気持ちで残念に思ってくれています」
――兵役の関係で今季が鳥栖でプレーする最後になるというのは分かっていたと思いますが、これまでとは違った気持ちのシーズンになりましたか?
「気持ちはすごく入っていたと思います。でも、昨季の終わりにけがをしてリハビリをしていたので、早く復帰したいなと思っていました。そんな状況で主将に就任したので、気持ちはもっと入りました。ただ、気持ちが入り過ぎても良くないので、自分なりにコントロールしながらやっていたつもりですけど、実際にうまくいっていたかどうかは分からないです」
――今季はタイトルを獲りたいということをよく言葉にしていましたが?
「数年前から鳥栖でタイトルを獲りたいという気持ちが強くなっていたし、いまのタイミングでタイトルを獲ってみたいと思っていました。そういう気持ちは常に持ちながら今季はプレーしていました。それが私が考えた鳥栖に対しての最高の恩返しだと思っていました。このチームがもっと大きく成長するためにはタイトルが必要。タイトルを獲るのと獲れないのとでは全然違うと思う。獲ったことがないので分からないけど、実際に違いは大きくあると思います。(鳥栖の選手には)チームとしても選手としても、そういう意識を常に持ってやってほしい。目標がないとダメになってしまうので、みんなが意識してこれからもやっていってほしいと思います」
――韓国に戻ってからのキャリアについてはどう考えていますか?
「軍隊のチームに入っても韓国代表に入ることはできるし、自分がどれだけしっかりやれるかが大事だと思います。自分としてはできるだけサッカーを長く続けていきたいので、そのことを考えた上で今回の決断をしましたし、この道を選ぶしかなかったと思います」
――軍隊のチームに入れる条件は以前よりも厳しくなっていると聞きましたが?
「もともと入れる人数は決まっているし、Kリーグでの出場時間も一定以上に到達しないと加入できないと決まっています」
――兵役が終わってミヌ選手が鳥栖に戻ってくることをみんなが期待しています。
「はっきりとは言えないですけど、鳥栖に帰ってくることができれば私としてもうれしいです。その間に鳥栖がどうなっているのか、いまから楽しみにしています」
ホーム最終戦は鳥肌が立つくらい感動した
――ホーム最終戦となった10月29日のJ1・2nd第16節・横浜FM戦(2△2)では試合後に日本語で見事なスピーチをされましたが?
「日本語で考えて日本語で手紙を書くというのが難しかったです。まず韓国語で書いてみたら、すごく長くなってしまったんです。試合の1週間前くらいから準備していたんですけど、自分の思いをまずは全部書いてみてから、チョンフンさん(キン・チョンフンコーチ)にお願いしてひらがなにしてもらいました。それを自分でまたひらがなを使って手紙にしました。3時間くらいかかりました。晩御飯を食べてからすぐ書き始めたんですけど、寝る前までかかって、マジで手が痛かったです(笑)」
――ホーム最終戦の雰囲気は覚えていますか?
「よく覚えています。鳥肌が立つくらい感動しました。でも、まずは試合が大事だったので、気持ちはコントロールしました。勝てなかったことが一番残念でした。勝てなくてサポーターのみなさんに申し訳ないという気持ちのほうが強かったし、自分が点を取るよりもチームで勝ちたかった」
――サポーターの存在はどういうものでしたか?
「ここまで私が成長することができたのはサポーターのおかげでもあるし、あれだけ良い雰囲気の中でサッカーをやらせてもらいました。本当に感謝しています」
――最後に、ミヌ選手にとってサガン鳥栖というクラブはどういう存在ですか?
「私の実家、ホームです。ここに帰ってきたときはみんなが優しく迎えてくれるし、本当にリラックスできる場所。周りの人たちが支えてくれるし、その中で自分の成長のため、チームの成長のために頑張らないといけないけど、そういった人たちのためにも頑張ろうと思えるクラブです。鳥栖で7年間プレーできて良かった。違うチームに行っていたらここまで成長できていたかどうか。ここに来ることができて本当に良かったと思っています」
おわり…
聞き手:杉山 文宣 取材日:11月28日
キム ミヌ(KIM Min Woo)1990年2月25日生まれ、26歳。韓国出身。172cm/69kg。彦南高→延世大(以上韓国)を経て、10年に鳥栖に加入。16年からは主将を務める。J1通算161試合出場20得点。J2通算52試合出場11得点。