Photo:Norio Rokukawa
MF 泉澤 仁(大宮→G大阪)
阪南大から大宮に加入した14シーズン、泉澤は開幕から苦境に立たされていた。個人での守備の強さを求める当時の大熊清監督は、大卒ルーキーの強烈なドリブルを認めながらも、使いどころを見定めることに苦慮。結果として出場時間は伸びず、成長にもつながらない。プロ入り前に描いていた自身の姿とは、まったくもってかけ離れていた。「何か変えないと」、「ここ(大宮)ではないのかな…」。相反する鬱屈した思いを抱えながら過ごしていたが、転機は思いがけずやってくる。成績不振による監督交代によって渋谷監督が就任すると、局面打開という“一芸”に優れるドリブラーは一躍、脚光を浴びることになる。チームはJ1残留という目標を果たせなかったが、インパクトを残した泉澤は希望の光となった。
出場機会の少ないころから泉澤が常に口にしていたのが、「大宮の顔となるような選手になりたい」ということ。言うまでもなく同時期に家長(現・川崎F)という異能が存在していたため、そうした扱いを受けることは少なかったが、J2で迎えた2年目の15シーズンは、意識の面で大きな変化を感じさせるようになった。時として免罪符にもなっていた「そこはアキさん(家長)に任せながら…」という言葉を封印し、ガムシャラにしかけるだけでなく、自分でタメを作ることにもトライ。そこからリズムを崩してレギュラーの座を失うこともあったが、ブレずにチャレンジを続けることにより、プレーヤーとしての幅を大きく広げていった。
リーグ序盤戦の不振を乗り越えてJ1リーグ戦30試合出場3得点という結果を残した16シーズンは、あと少しで「大宮の顔」と言われてもおかしくない活躍を見せたが、泉澤は移籍という道を選ぶ。きっとG大阪でも変化に悩みながら、壁を乗り越えていくのだろう。NACKのピッチで再会するときには、「G大阪の顔」となっていることを願っている。(片村 光博)
泉澤 仁(いずみさわ・じん)1991年12月17日生まれ、25歳。千葉県出身。165cm/63kg。柏U-15→新潟Y→阪南大を経て、14年に大宮に加入。17年、G大阪に完全移籍で加入。J1通算46試合出場3得点。J2通算41試合出場7得点。