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吉田孝行(元神戸ほか)インタビュー「フリューゲルス最後の天皇杯ゴールが思い出です」

2013/12/27 17:33 0



吉田孝行が今季限りで引退した。19年のプロ生活だった。横浜フリューゲルス最後の天皇杯ゴール、神戸を奇跡的に残留に導いたゴール、故・松田直樹氏に捧げたゴール…。そして、現役最後の試合でも、自身の花道を飾るかのようにゴールを挙げた。生粋のストライカーというタイプではない。横浜で、大分で、神戸で、泥臭く走り、あきらめないメンタルで周りを鼓舞し続けてきた。記憶に残るプレーヤー・吉田孝行の19年間――。

取材日:2013年11月27日(水) 聞き手/小野慶太

引退をするという決意

──11月24日にノエスタでJ2最終節(vs熊本・3○0)が終わり、現役を引退されました。

吉田 セレモニーをしてくれたクラブに感謝しています。サポーターもすごい声援で、試合もセレモニーも盛り上げてくれました。感謝しています。(熊本戦でサポーターは)試合の前からずっと僕の応援をしてくれていました。それを聞いて『やっぱり最終戦なんだな』と、感じました。試合は良い形で勝ちましたし、笑顔で終われたと思います。でも、19年を振り返って、つらかったこと、苦しかったことを思い出すと涙が出てきました。

──試合前からサポーターは、吉田選手が所属した各クラブでの歴代のチャントを送っていました。

吉田 他チームに所属していたときのモノまで来るとは思っていませんでしたから、ちょっと泣きそうになったんですけど(苦笑)。さすがに試合前に泣くのは良くないと思ってグッとこらえました。

──チームメートが吉田選手にゴールを取らせようとしている気持ちは感じていましたか?

吉田 試合中、亮太(森岡)、松村亮、ポポなんかはずっと僕にパスを出そうと、僕のことばかり見ていました(笑)。試合前は点を取らせようというより、『何とか孝行さんをピッチに立たせよう』という雰囲気を数日前から感じていました。

──チームに引退を告げたのは第37節・松本戦(10月20日)のあとでした。その意図は?

吉田 去年、クラブと契約するときに『あと1年、チームをJ1に上げて終わりましょう』という話をしていました。今年の8月の終わりくらいから正式に辞めるという話をし始めて、最終的には9月の終わりくらいから、どういう形で持っていこうかということを決めていました。ちょうどそのころチームの調子も雰囲気もすごく悪かったんです。だから松本戦の後に言おうと決めていました。クラブからは『自分のタイミングで話していい』と言ってもらっていたので、『ラスト5試合、チームにメッセージを残そう。昇格と優勝に向けて頑張ってもらおう』、そういう意図だったんです。そうしたら発表する直前の松本戦は7-0で勝った(苦笑)。もちろん、7-0の勝利はうれしかったですよ。

──引退を告げる前日の夜はどんな心境でしたか?

吉田 引退することは決まっていたので、『いつ言おういつ言おう』といった感じでした。早く言ってみんなに知ってもらったほうがラクになりますからね(笑)。チームメートは本当に寸前まで知らなかったです。『驚いた』という選手もいましたが、年齢を考えれば驚くことではないと思います。

──引退を発表してからの気持ちの変化は?

吉田 まったくありませんでした。いつもと変わらず、特別なことをしようとも思わなかった。普段から練習している時間は100%でやっていたつもりでしたし、むしろ、それ以上の自分は出せないと思っていましたから。

──最終節のゴール後、松田直樹選手の背番号である「3」が入ったヘアバンドを頭に巻きました。引退することを松田さんに報告されていたのでしょうか?

吉田 報告というよりは、一緒に戦ってきたという意識が僕の中では強かった。最後ということで何かをしたいなって。点を取ったらヘアバンドをするのが一番いいんじゃないかと。取らなかったら、ヘアバンドを手に巻いて終わりだったんですけど(苦笑)

──2011年8月4日に松田選手が亡くなり、半年経っても「実感がない」という話をされていました。吉田選手の中でどう受け入れていったのでしょうか?

吉田 まだ受け入れられないというか、信じられないという部分は常にあります。練習の帰りとかにサッカーのことを考えるとき、ふとマツのことを思い出したりもしましたし、これからも忘れることはないですね。(お墓参りには来年)1月くらいに行けたらと思います。引退の報告も兼ねて。

キャプテンシーということ

──神戸では、11-12年シーズンに主将を務めました。どのように引っ張ろうと考えていましたか?

吉田 僕の場合、闘将といった常にリーダーシップを取るような選手ではありませんでした。ただ、チームが苦しいときに力を発揮することはできたんじゃないかと思います。チームが良いときというのは、みんなでワイワイ好きにやっていればいいけれど、チームがダメになったときに、誰かが先頭に立って言動だったり姿勢だったりを見せていかないといけません。そういうときに少しは力になれたのかな。そういったスタンスでしたね。

──今季は河本選手が主将を担いました。クラブは当初吉田選手にという話でしたが、吉田選手から「もっと若手に」という話をされたと聞いています。

吉田 シーズン当初に亮さん(安達監督)に呼ばれたときに言いました。『僕がキャプテンをやるよりも誰かに託したほうがいい。昇格したときのことや次を見据えて中堅の選手がやったほうがいいんじゃないか』と。キャプテンマークを1年間巻くことは、すごく重いことだと思っています。1試合だけ巻くのと1年間巻くのとでは、まったく重さが違います。それを巻くことによってチームのことも考えられます。僕が初めて巻いたのは大分時代、26歳くらいのときでした。キャプテンマークを巻くことで、フォア・ザ・チームの気持ちになる。責任感や『やらなきゃ』という気持ちが強くなります。一人でも多くの選手にそれを経験してもらいたいですし、人間としても成長すると思いますから。

──河本選手のキャプテン姿をどう見ておられましたか?

吉田 コウモ(河本)自体は、いろいろなジレンマがあったと思います。けがの時期もありましたからね。常にコウモはチームのことを考えていると思うんです。でも、僕と一緒で…いや、僕よりも言えないというかね、口下手(苦笑)。なかなか言えないんです。そういったことを僕らのような年齢が上の人間は感じていましたから。『何とかしてあげな』、『アイツも考えているんだな』と。プレーでもいろいろ見せてくれましたね。最終戦の1点目、あれで流れをガラッと引き戻してくれたし、松本戦ではオーバーヘッドゴールもありました。最後はプレーでチームを引っ張ってくれたと思います。

──今季、チームの調子が悪いときに選手たちに声をかけたりはされたのですか?

吉田 サテライト(関西ステップアップリーグ)のゲームの後などに声をかけていました。サブチームの選手には『チーム全体の底上げをしないといけない』、『トップチームの調子が悪くてサブチームも悪かったら駄目だ』、『もっと試合に出場するためにアピールをして、チームの底上げをしていこう』という話をしましたね。

──出場の機会を得られない選手もいます。そういうときに、どういう気持ちを持つことが大切だと思いますか?

吉田 みんなプロなので、それぞれ自分が出れば活躍できると考えていると思います。でも、それを前面に出し過ぎると和を乱すことにもなります。だから、その気持ちは自分の中の闘争心として置いておいて、チームのことを考えながらやらないといけない。僕も今季はあまり試合に絡めていない時期が長かったので、サブチームの選手たちと話をする機会が多かったのですが、みんなやはりいろいろな不満を抱えていました。

僕自身、悔しさもありましたが、そういう選手にもアドバイスしないといけないとも思っていました。その意味で自分をグッと抑えた部分もありました。仲間と励まし合いながらやっていました。『なぜメンバーに入れないんですかね?』と言う選手もいましたが、そういった選手には当然ケアもするけれど、『そこがダメだからじゃないか』ということも、ハッキリ言いました。

──吉田選手は戦力外の経験もあります。今季終了後には、何人かの選手が同じ経験をすることになります。選手は戦力外という事実をどう受け止め、乗り越えていけばいいと思いますか?

吉田 サッカー選手にとってこの時期は、独特な空気が流れるイヤな時期なんですよね。戦力外になる選手は当然いると思いますが、僕がそういう選手にいつも言うのは…

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