新たなスタート
見直す自分と、貫く自分
9月、10月と4試合あった日本代表戦で、本田圭佑の“変化”を感じ取った人は多かったはずだ。その姿は、絶対的中心として代表チームを引っ張ったこの4年とは異なる。「ゲームメークするよりも、前で脅威になる」。彼の言葉どおり、ミランでは開幕戦からゴールをコンスタントに決め続け、名だたる世界的選手たちと肩を並べてセリエAの得点ランキング争いに身を置いてきた。自らのアイデンティティーを押し出すことで周囲を引っ張ったこれまでとは違う、新たな本田。その境地に至るまでの経緯や、隠された意図は何なのか。11月9日、ミランの空港、搭乗口近くのカフェで静かに彼は語り始めた。(西川 結城)
ミラノ、2度目の冬
ここ1週間のミラノは、陽が差すことがほとんどなかった。雨雲と夜霧に包まれた、北イタリア特有の天候。徐々に気温も下がり、もうすぐこの地に本格的な冬がやってくることを予感させた。
冬の到来。そう、本田圭佑がこの地に来て、もうすぐ1年が経とうとしている。
現在、4試合勝利なしのミラン。シーズン当初は好スタートを切っていたが、フィリッポ・インザーギ新監督率いるロッソネロは、ここに来て足踏みをしている。
順調に得点を重ねてきた本田もその4試合でゴールなし。8日(現地時間)に行われたサンプドリア戦後の各新聞の平均採点も、5点台と低調なモノだった。地元記者も“そんなに甘かねえ”と言わんばかりに、結果主義の姿勢を示していた。
サンプドリア戦翌日の早朝、ミラノ・マルペンサ国際空港。チェックインゲートに姿を現した本田は、ワインレッドのスーツに身を包んでいた。フォーマルな装いは、いまやミラノの人にも彼の定番として知られている。
サングラスを外すことなく、セキュリティゲートの列に並ぶ。こちらの他愛もない会話には反応するが、「サッカーの話はここではせえへんよ」と初めはいつもの態度だった。
搭乗ゲートまで歩いて行くと、その横にはカフェがあった。すると「ジャーナリストとお茶することなんて、なかなかない」と呟きながらも、店へと入っていく。エスプレッソとミネラルウォーターを注文し、席へ着いた。
閑散とした空間。搭乗の時間まではまだ40〜50分ある。カフェにはゆったりとした空気が流れていた。自然と、会話は始まっていった。
ミランが抱える病巣
“ミランの10番”。そう、もてはやされたのが今年の1月だった。80年代から90年代にかけて、世界最高峰のリーグとして君臨したイタリア・セリエA。その主役としてサッカー界を席巻していたのが、この赤と黒の集団だ。
残念ながら、いまの姿は当時のそれとは比べ物にならない。とはいえイタリアに来るたびに感じるのは、いまだに『ミランブランド』が確かにあるということ。オーナーである元首相のシルビオ・ベルルスコーニの存在感は依然大きく、ユベントスとミランの二大クラブはいつの時代も“グランデ(偉大)”なのだ。
ただし、ユベントスはここ数年も強さを誇っているのに対して、ミランは輝かしい過去にすがっている。そんな印象はどうしても拭えない。
今季、カカとバロテッリという看板選手二人がチームを去った。監督も代わり、ミランはまた新たなサイクルに入ろうとしている。いまのセリエAはユベントス、ローマ、ナポリなど、ミランより地力を付けているチームが多くいるのが現状だ。つまり、言ってみればミランはチャレンジャーの立場。しかし、過去の自分たちが足かせとなり、挑戦者精神に歯止めをかけている。
まだ加入して1年も経っていない本田だが、ミランが抱える病巣をズバリ突いた。
「ミランが強かった時代は、考えてみればいまとは状況が全然違っていた。当時はクラブにはお金もあって、世界的にもトップクラスの有能な選手をたくさん抱えられていた。確かに、まだ当時のミランを想像してここに来る選手もいる。でもやっぱりいまはあのころとは違う。どうにかしてチーム戦術を機能させて、工夫して戦っていく必要がある。だから実は、こういう中で勝っていくという作業はベルルスコーニ会長もガッリアーニ(CEO)さんも経験してきていないこと。インザーキ監督や選手も含めて、これはミラン全体にとってニューチャレンジになる。ミランは過去の栄光を捨て切れていない。もちろん、そこには(プライドやブランド力など)良い意味もある。でも本当に成功していこうとするのであれば、ある程度過去を捨てないといけないと思う」
過去を捨てる。それは、ブラジルW杯での悔恨を経て、現在の本田が見せている姿とも重なるモノだった。
気持ちの変化がプレーの変化に
今後、ミランは自分たちのネームバリューでこの世界を渡り歩くだけではいけない。格上相手に勝つために、チームには戦術の統制が、選手にはプレー意志の統一が必要なのは言うまでもない。
ところが、本田個人の視線は、また別のところに向いているという。
「じゃあ、自分がそうしたチーム作りに多くコミットしていこうとしているかと言えば、いまはあまりしていない(それは監督やクラブ幹部の仕事という意も含まれている)。これまでの自分のスタンスであれば、例えば(自分勝手なプレーが多い)メネズやバロテッリでも放っておかずに何かを言っていたと思う。でもそれはしていない。そこに注いでいたパワーを、自分自身の成長にもっと注ぎ込もうとしている。
前まで(W杯頃まで)の自分は、もう言ってみれば監督みたいな仕事をしていたところがあった。オランダでもロシアでもそうだったし、日本代表でもそう。周りの選手にいろいろ言って、助けたり前を向かせたりもしてきた。ただ何度も言うけど、いまは自分に集中したい」
その気持ちの変化は、そのまま本田のプレーの変化にも表れている。
9月、10月と行われた代表戦4試合。本田はアギーレジャパンにおいて、3トップの右FWに入った。トップ下として“MF然”とプレーしていたザックジャパン時代とは異なるポジション。それはシーズン序盤でゴールラッシュを見せていたミランと同じ位置、同じ役割を求められていることでもあった。
先月、新潟での合宿中に本田はこう話していた。
「W杯前からもしかしたら180度ぐらい、まあ大げさかもしれないけれどプレーの意識が大きく変わったことは間違いない。自分自身は、いまは前で勝負したい。ゲームメークするよりも、どちらかというと前で脅威になるということを追求している」
新たな自分像の形成に向けて取り組み始めているということが伝わってきた。シンプルに言えば、ゴールをより強く意識したアタッカーへの変貌。それは、今季ミランで彼がスペース目掛けてフリーランニングしてはシュートを決めている数々の場面からも感じられる。
サンプドリア戦でも、本田はとにかく走ってはボールを呼び込んでいた。カウンター発動となれば、自陣深くからでも加速しながらゴール前へと突き進んだ。しかし、欲しいタイミングでボールを受けられず、ストレスの溜まる時間が続いた。勝手なプレーでチャンスを逸してしまっていた味方もいた。そんな選手に一瞬不満気な態度を取るも、すぐに自分のポジションへと走って戻る本田。いまはあえて、何も言わない。
チャンスがないわけではなかった。特に32分に見せたプレーは、特記に値する。
右サイドのタッチライン際で半身の状態でパスを受けると、スムーズに体を前方に向けて縦に抜ける。相手ボランチのスライディングもヒラリと交わしてみせた。そのままカットインする方向取りで推進。対面するDFとの1対1を勝負するかと思ったが、本田は逆サイドのメネズへパス。シュートは相手のブロックに阻まれた。
このプレーを、本田は悔やんだ。と同時に、この場面にこそ、彼がいま目指している新たな理想像へのヒントが隠されていた。
「最後のところでメネズにパスをしたけれど、なぜパスを選択したかというと、ゴール前に行ったあの時点で燃料切れだったから。だからプレー選択のプライオリティーの第一がパスになってしまった。ただ、本来アタッカーとして勝負していくのであれば、あそこはたとえ結果的に相手ともつれたり引っかかったりしてしまったとしても、ゴールに直結するプレーをすべきだった。しかけるべきだった」
自分には、左足の一撃がある。その最大の武器を生かす瞬間こそ、このときだった。
「あそこでしかけたら、自分で“一発”を決められたかもしれない。少なくともその可能性はゼロではないわけで。でもできなかった。なぜなら、フィジカル的に厳しかったから。だから、ここから(次のW杯までの)4年のプロジェクトの中では、もう一回フィジカルを強化していくことも真剣に考えている。そうすればああいう場面でシュートや突破することが、プレーの第一プライオリティーになってくるから」
これからは、勝負を決定付けられるアタッカーになる。さらに珍しく、少々自虐のニュアンスを込めながらも、こう語った。
「俺は技術的には大したことない選手。自分ができることと、できないことがあることはきっちり自覚している。でも、サッカーの勝負を分けるのは、最後の一発を決められるかどうか、その局面で勝てるかどうかだったりする。いまはそうした一発を決められる自分になろうとしている。これまでも、決めるところで決めるというタイプではあったと思う。でもW杯のギリシャ戦で、あれだけ相手を攻めながらも、自分を含めて日本には誰も試合を決められる選手がいなかった。そこで結果を出せるような選手にならないと」
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