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ジョホールバルの歓喜(フランスW杯アジア最終予選)/日本代表の軌跡

2015/3/26 10:05

カズ&中山から城&呂比須への2枚代え、そしてラストピースは野人・岡野。41歳の指揮官・岡田武史監督の采配が冴えた歴史的一戦


97年11月・ジョホールバルの歓喜(1997年フランスワールドカップアジア最終予選)

 青一色に染まったマレーシア・ジョホールバルのラルキンスタジアム。2−2で迎えた延長後半13分、20歳の司令塔・中田英寿がドリブルで持ち上がり、ペナルティエリア直前からミドルシュートを放った。これをイランの守護神・アベドサデが弾いたこぼれ球に野人・岡野雅行(現鳥取GM)が反応。スライディングしながら右足でゴールに押し込み、待望のゴールデンゴールが生まれた。岡田武史監督(現FC今治代表)らベンチに陣取った全員が歓喜の雄叫びを挙げ、歴史的ゴールを奪った男を揉みくちゃにした。93年10月28日の「ドーハの悲劇」から4年が経過した、97年11月16日。日本サッカー界はついに98年フランスワールドカップへの扉をこじ開けることに成功したのである。

 98年フランスワールドカップの出場を目指す日本代表の活動は94年春のパウロ・ロベルト・ファルカン監督就任から始まった。ファルカン監督は岩本輝雄や前園真聖ら当時の若手を大量抜擢し、斬新なチーム作りに乗り出したが、94年10月のアジア大会(広島)で宿敵・韓国に苦杯を喫してベスト8敗退。この成績不振などが問題視され、わずか7カ月で解任されてしまう。

 後任監督には、日産自動車(横浜F・マリノスの前身)や横浜フリューゲルスで成果を残した加茂周監督が就任。11か月という短期契約だったが、98年フランス大会までの続投が視野に入っていた。だが、彼の手腕に疑問符をつけた加藤久強化委員長(現磐田GM)率いる当時の日本サッカー協会技術委員会は、加茂監督続投を見送り、ヴェルディ川崎を躍進させたネルシーニョ監督(現神戸)の抜擢を主張。95年11月時点では監督交代が事実上内定していた。けれども、長沼健会長ら協会幹部の話し合いによってこの内定が覆され、逆転で加茂監督続投が決定する。「これでワールドカップに出場できなかったら、私が責任を取って辞める」と長沼会長は言い切った。この幹部会が「密室」と揶揄され、ネルシーニョ監督自身も「協会の中には腐ったミカンがいる」と痛烈批判したことを覚えているサポーターも少なくないだろう。

 こうして日本代表は加茂体制で96年アジアカップ(UAE)に挑んだが、この大会でもクウェートにまさかの黒星を喫して8強止まりに終わる。ここでも再び指揮官解任論が浮上したが、それは実行に移されることなく97年を迎え、98年フランス大会アジア予選に突入することになった。

 1次予選はオマーン、マカオ、ネパールと同組。オマーン・マスカットと東京でのダブルセントラル開催だったが、日本は5勝1分の勝ち点16を挙げて順当に1位通過。最終予選進出を決めた。その最終予選は当初、94年アメリカ大会同様、10月にセントラル開催される予定だったが、開催地を巡って対立が起き、突如としてホーム&アウェー方式が採用されることになった。しかも最終予選スタートが9月に繰り上がり、待ったなしの状況となった日本代表は急きょ代表合宿を組み込み、8月のJOMOカップ(Jリーグ外国人選抜との対戦)を壮行試合とするなど、ドタバタの中で本番を迎えた。

 日本の入ったB組は韓国、UAE、ウズベキスタン、カザフスタンと同組。1位が本大会出場権を獲得し、2位がA組2位とのプレーオフに進む。アジア枠は3・5枠だから、プレーオフで敗れたチームは、オセアニアとの大陸間プレーオフで勝たなければフランスには行けない。日本としては何としても1位通過したかった。

 9月7日の初戦、ホーム・ウズベキスタン戦(東京・国立)をカズ(三浦知良=横浜FC)の大量4ゴールなどで6−3と大勝し、19日のアウェー・UAE戦(アブダビ)は0−0のドローと、序盤戦は悪くない展開だった。ところが、9月28日の第3戦、ホーム・韓国戦(東京・国立)で、日本は山口素弘の伝説となる右足ループシュートで先制したにもかかわらず、韓国に逆転負けする致命的なミスを犯してしまう。この大一番に合わせて呂比須ワグナーが日本国籍を取得し、試合出場を果たしたことも実らなかった。3戦終了時点で韓国が勝ち点9、UAEが7、日本が4と早くも1位通過に黄色信号が点った。

 追い込まれた日本は、大一番敗戦ショックを引きずったまま中央アジア2連戦に赴いた。その1戦目だった10月4日のアウェー・カザフスタン戦(アルマトイ)は、秋田豊のヘディングシュートで先制し、1−0の勝利目前までゲームを運んだが、最後の最後にまさかの失点。1−1のドローという最悪の幕切れを強いられるう。危機的状況に陥ったチームをもはや放置しておくわけにはいかなくなった協会幹部はこの晩、緊急会議を行って加茂監督更迭という大ナタを振るう。同時に岡田武史ヘッドコーチを昇格させることを決定。記者会見にのぞんだ41歳の新指揮官は目を真っ赤にしながらチーム立て直しへの決意を口にした。

 とはいえ、若い岡田監督には代表はおろかJリーグクラブでの指揮官経験もなかった。そういう人物を絶体絶命の修羅場で抜擢せざるを得ないほど、日本サッカー界は絶体絶命の窮地に立たされていた。新体制初戦は10月11日のアウェー・ウズベキスタン戦(タシケント)。この重要な一戦で岡田監督はこれませ主軸だった中田を外して森島寛晃(セレッソ大阪アンバサダー)を先発起用。FWにも呂比須ではなく城彰二を使って活性化を図ろうとした。が、効果は薄く、逆に前半のうちに先制点を奪われる。最終予選5試合目にして初めて許す先制点で、GK川口能活(現岐阜)もショックを受けたに違いない。時間は刻一刻と経過し、敗色濃厚となった後半終了間際、日本に一筋の光明が見えてくる。キャプテン・井原正巳(現福岡監督)のロングフィードを呂比須がヘッド。これがDFのミスを誘って待望の1点が転がり込む。この同点弾は岡田監督が捨て身で勝負に出たパワープレーの賜物だった。

 首の皮一枚つながった状態で迎えた10月26日のホーム・UAE戦(東京・国立)。この試合に勝てば日本は2位に浮上するはずだった。岡田監督が北澤豪や本田泰人らベテランを抜擢し、気合を入れ直した成果もあり、開始3分に呂比須の先制点が生まれ、チームは前向きなムードに包まれた。けれどもその後の追加点が奪えない。後半36分にはまさかの同点弾を奪われ、この試合もまた1−1のドロー。韓国の1位通過が決定すると同時に、日本の自力2位も消滅。国立競技場の正門前に陣取ったサポーターが暴動を起こす事態に発展した。その矛先は不発の続いたエース・カズへと向けられる。カズが出てきた瞬間、心ないサポーターの1人がパイプいすを投げつけ「コノヤロー、しっかりしろ」と怒鳴ったのだ。さすがのカズもキレて、つかみかからんとしたところを周囲に制された。この出来事が起きたことで、選手バスがスタジアムを出られなくなり、試合後は深夜まで大混乱だった。それだけ日本中が狂気の沙汰に陥っていたのだ。

 後のない日本は11月1日、アウェー・韓国戦の地・ソウル・蚕室競技場へと乗り込んだ。日本から大挙して乗り込んだ大サポーターの後押しを受けた日本はこれまでの金縛り状態から解き放たれたようにイキイキとしたプレーを立ち上がりから見せる。開始早々の2分にはエースナンバー10・名波浩(現磐田監督)が値千金の先制弾をゲットし、37分には相馬直樹(現町田監督)のクロスから呂比須が追加点を挙げる。後半は韓国の反撃にあって苦しんだが、岡田監督の平野孝投入という攻撃的な采配も功を奏し、日本は初戦・ウズベキスタン戦以来の勝利を手にする。

 この試合でカズが出場停止になったことで、岡田監督は次の11月8日の最終戦、ホーム・カザフスタン戦(東京・国立)に中山雅史と高木琢也(現長崎監督)を復帰させる。中山に至っては、ホーム・韓国戦の際、ピッチリポーターをやっていたほど、代表から遠ざかりつつあった。そのベテランはカズへの思いを乗せてプレーし、1試合2得点を叩き出す。同い年の井原、高木も得点し、日本は終わってみれば5−1の大勝。UAEを逆転してB組2位になり、A組2位となったイランとのプレーオフにコマを進めることができた。

 その舞台となったのが、マレーシアのジョホールバルだ。当初、プレーオフはバーレーンで開催される案が有力視されたが、日本協会が猛反発。中立地のマレーシアに決まった。この会場選定が日本のアドバンテージになったのは間違いなかった。

 イランは試合前日にFWアジジが練習中に負傷したと見せかけ、車イスに乗るというあからさまな陽動作戦に打って出た。だが、案の定、彼のケガは全く問題なし。当日はダエイ、マハダビキアとともに変則3トップで先発出場してきた。イランにとって痛かったのはボランチ・バゲリの出場停止。試合を落ち着かせられる選手の不在は多少なりとも響いたはずだ。日本の方はカズも復帰し、中山と2トップを組んで先発。満を持して大一番に挑んだ。

 試合は一進一退の攻防が続いたが、前半40分に中田のスルーパスに反応した中山が先制点をゲット。1−0で折り返す。しかし後半開始早々の1分、ダエイのシュートのこぼれ球をアジジが押し込み同点に追いつく。さらに後半14分にはダエイにヘッドを決められ1−2と逆転を許してしまった。

 そこで岡田監督は大胆采配に打って出る。後半18分、カズと中山を下げて城と呂比須をダブル投入したのだ。カズはここまで代表戦で途中交代をしたことがなく、不調でも下げられることがなかった。この予選に入ってからホーム・韓国戦で尾てい骨を痛めて精彩を欠いていたが、加茂・岡田両監督は起用を続けた。その大黒柱をこの場面で下げるというのは勇気のいることだったに違いない。世代交代の象徴とも言われるシーンだった。そのカズと代わった城が後半31分、中田のクロスをヘッドで合わせ、日本は2−2の同点に追いつくことに成功する。岡田監督も安堵したことだろう。

 結局、90分間では決着がつかず、ゴールデンゴール方式の延長戦の投入。日本は北澤に代えて売り出し中の快足FW岡野を送り出す。岡田監督は岡野の爆発的なスピードに期待し、本人も足を生かして再三再四ゴールに迫った。が、決定機を次々と外し、日本中がため息に包まれた。

 それでも岡田監督は諦めずにこの男に期待した。そして延長後半13分、ついに彼は決めるべきところで決め、日本のフランス行きを引き寄せた。この歴史的ゴール、歴史的勝利がなければ、日本サッカー界がワールドカップの舞台に立つことも、世界に近づくこともありえなかった。

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