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復興支援とフットボール。手倉森浩氏のまなざし/EG FEATURES

2016/7/27 11:30


手探りで始まった寄り添う復興支援

 2011年3月11日の東日本大震災発生から、5年と4カ月が経った。少しずつ復興の道を進んでいる場所もあれば、まだまだ厳しい場所もある。そしてこの間には、今年4月の平成28年熊本地震のような自然災害が新たに発生した。その中で、復興や減災への取り組みにフットボールをとおして向き合い、日々努力している人たちがいる。
 手倉森浩氏もその一人だ。双子の兄・手倉森誠氏(リオ五輪日本代表監督)とともに住友金属(現・鹿島)やNEC山形(現・山形)でプレーし、引退後は山形や仙台で指導者として経験を積んだ。
 その手倉森浩氏は13年2月から、日本サッカー協会の復興支援特任コーチに就任。前任の加藤久氏(現・磐田GM)のあとを受け、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城・岩手・福島の三県を回り、各種復興支援活動を続けてきた。
 「最初は、本当に手探りでした」。Jリーグの現場で指導経験のある手倉森浩氏も、被災地の現場では“ 復興支援”の言葉について悩んだという。
 初年度に宮城県名取市を訪れたときのこと。「まずは子供たちと、とにかく広い場所でサッカーをやろう」と、グラウンドから瓦礫を撤去して新しい場所でサッカーをするところから始めようとした。しかし、保護者や子供たちからの声を聞くと、危険なものが落ちている場所、そして津波の被害を思い起こさせる場所でのプレーに難色を示されたという。
 「そのときに思いました。まずは“寄り添う”ということから始めるべきなのだと。被災した方々が何を求めているのかを知り、また、自分が何者なのか知ってもらうためにも、寄り添って、少しずつ進むことが大事なのだと」

サッカーを楽しむという原点

 就任1年目は、対話と交流を第一にして、場所を選んだり、どのような設備が必要なのかを学ぶことで過ぎていったという。それから地道に各地を回り、サッカー教室や競技施設の再建計画に携わるなど、多岐にわたる復興支援を進めた。時が経つにつれ、被災地ごとの復興のスピードに差が生じていく現実も、目の当たりにしてきた。
 「最初は僕のことを『誰だろう?』と思っていた人もいたかもしれません。でも最後のほうでは『(手倉森)浩さん、また来てくれませんか』という依頼も増えて、活動の意義を感じました」。先述の名取市でも、のちに保護者のほうから瓦礫撤去の動きが出て、環境が整備されていったという。
 16年2月からは、ナショナルトレセンの東北地域チーフコーチを務めている。「技術的なことを教えることが多くなりましたが、この東北の地にいるからこそ寄り添える気持ちは持ち続けています」。立場は変わったが、いまも復興支援活動を継続している。
 手倉森浩氏自身も、この復興支援活動をとおして、さまざまな成長があったという。「以前は、自分の過去の経験もあまり話しませんでした。でも、サッカーを楽しむという原点を、関わった人たちから教えられて、自分自身とも向き合うことが増えました」。
 被災地に寄り添い、手倉森浩氏は今日もボールを蹴り続ける。(板垣 晴朗)

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