Practice Report 練習場レポート

[1112号]EGちょい出し:高校選手権インタビュー 朝岡隆蔵監督(市立船橋) 国立には日本人の好きな言葉が詰まっていた 「選手には感謝の気持ちしかない」/ 聞き手・平野貴也

2012/1/27 13:00 0

--大会が終わって1週間以上が経ちました。
「あまりにもシナリオどおりで、今回はうまく行き過ぎたという感じがあります。大会後は『違う世界に来てしまった』という感覚ですね。サッカー関係者ではない人たちの反応が大きくて、この大会が周りに与える影響力を感じました。練習場として使わせてもらっているこのグラウンドは市の施設なのですが、会う人みんなが『おめでとう』と。電話はいまもたくさんかかってきています。『そろそろ落ち着いたころかなと思って』と言ってかけてくる方もいますので。ちょっと電話恐怖症になりそうです(笑)」

--シナリオどおりという話でしたが、長崎日大との初戦で主力を温存したあたりは優勝まで逆算しているなと感じました。
「初戦はあんな形で失点する(開始1分で失点)とは思っていませんでした。前半の途中で(選手・戦術を)変えようかなと迷いました。でも、信じてきたメンバーを途中であきらめるのは良くないと思いました。あの試合に出た選手は県予選以降の1カ月を頑張ってきて評価を受けた選手ですし、大会直前も主力よりパフォーマンスが良かった。彼らで負けたらそれまでだと腹をくくりました。相手をナメていたわけではありません。ただ、(続く3回戦で当たる見込みだった)清水商を意識した部分はありました。静岡県予選の決勝をビデオで見ましたけど、すさまじかった(高校総体準優勝の静岡学園に3-0で完勝)。だから連戦は厳しい状態だったFW岩渕諒は3回戦に照準を合わせていました」

--初戦前日にDFの小出悠太選手が発熱する状況で、ご自身の経験(※)から体調管理の注意を促したとも聞きました。
「風邪の前に大変なことがありました。12月29日から直前合宿に入ったのですが、合宿所に着いたら、救急車が4台来ていました。私たちの前に入っていた団体でロタウイルス(急性嘔吐下痢症などを引き起こすウイルス)がまん延したという話でした。食堂を見たら、その団体は3分の1ほどの10人程度しか食事をしていませんでした。ということは、残りの3分の2は感染で苦しんでいるわけです。先に一度荷物を置いて練習に向かい、その間に保健所が来て検査と消毒をしてくれていましたけど、初日の夜はスタッフの誰も食欲がありませんでしたね(笑)。人数や時期の問題もあって新しい合宿所を見付けるのは難しかったですし、とにかく手洗い、うがい、消毒、熱が出たら隔離と、徹底して過ごしました。大会期間中も、ウイルスとは関係なかったのですが、全部で10人程度が入れ替わるようにして高熱を出していました。病院に行って点滴を打っていた選手もいます。ボロボロでしたよ」


--大会直前直後は、インフルエンザなども含めて体調不良に陥る選手が毎年多くのチームで発生しますよね。
「ストレスを抱えて免疫力が低下するのでしょうね。集団生活で狭い部屋に入って、緊張感のある練習や試合が続きますし、普段はない周囲の期待や視線もあります。私もそうだったわけですけど、精神的に弱い子は発熱してしまいますね。風邪をひいてもバレないように気を張る子も多いですが、私のようにコンディションが上がらず気落ちしてしまう選手も出てきます。だから、期間中はできるだけ明るくするように努めていました。選手にストレスがかからないように、追い込まないようにしよう、と。『大体、体調管理できない奴が悪いんだよ。あ、オレか』とかね(笑)。あとは『こういうのは巡り巡って、最後はお前に来るんだ』と和泉(竜司)を冗談めかして脅してみたり」

--発熱して国立に立てなかったご自身の経験については、毎日のように聞かれたと思うのですが……。
「その話は、疲れましたね。選手時代の話ばかりを聞かれて『そんなのいまは関係ないし、面倒だ。選手たちをどうしていくかが問題だ』と思って、そっけなく対応してしまったのですが、学校関係者からは『質問と回答がズレている。気持ちは分かるけど、ちゃんと答えなさい』と言われてしまいましたよ(笑)。まあ、大会前にもお話ししたとおり、国立は本当に戻れるなら戻りたかった場所。個人的な思いを言えば、自分の中にポッカリと穴が空いていた部分を埋めることができたという感触はあります。子どものころ、全国大会で優勝するんだと言ってやってきた夢は、達成したようで達成していませんでした。プロになることもいろいろと考えた末にあきらめました。だから『これ以上、自分の目標や夢をあきらめたくない、何が何でも(指導者としての国立進出は)成し遂げてやる』と思ってやってきました。でも、達成できる確率は相当に低いはずなんです。市船に戻って来る確率、そこで監督になる確率も含めてね。その現実的には難しい確率のを達成できてしまった。幸せですね。忘れ物をちゃんと取り戻せた。ことあるごとに『市船出身なんだ。どの世代なの?』と聞かれて、そこに疲れてしまっていた。ある意味では反骨精神でやってきた部分はあるけれど、自分の自信のなさとして引っかかっていたもの。だから、こういう形で達成できて本当に幸せ。選手には、感謝という言葉しかありません」

--準決勝の前に、ご自身の気持ちを選手に伝えたと聞きました。
「準決勝の日、試合の2時間前ぐらいにピッチに入って見たときに自然と感傷に浸ってしまいました。一人で相手のメンバー表を見て試合のシミュレーションをしていたんですが、昔を思い出してしばらく涙がポロポロと止まらなかったですね。これじゃマズイと思って気持ちを切り替えたんですけど、試合前のミーティングで『国立は、みんなが目指してきたピッチ。ここに立てない人のほうが多い。オレもその一人。本当に君たちはうらやましい。やってこいよ』と話したのですが、選手に発破をかけるときにまた感情的になってしまって……。そうしたら、選手が『泣くのはまだ早いよ!この試合、勝ってくるから』って言って。彼らのほうが私を越えてしまっていましたね。『そうか、頼むぞ』と。本当に心のある子たちだったから感動をもらったし、本当にありがたいなと思いました」

「“市船らしい”と言われて良かった」

--今大会は守備的な戦い方を徹底していた印象を受けました。春先や夏とは違う戦い方に少し驚いたくらいです。
「市船は勝たなければいけないチームです。『いいサッカー』をすれば一部では評価されるけど、『負けたらダメだ』というところがある。逆に『勝ちました』と言っても『次は内容だ』という話になる。勝っても負けても何か言われる。だったら、勝ちにいく。勝つことで自信や強さが出てくるし、そこから変化できることはある。いい形で結果が出て良かったと思います。トーナメントなので手堅くいきたいとは思っていました。ただ、堅守とかカウンター、セットプレーに特化して1年間の練習をしてきたわけではありません。こちらが主導権を握る試合も、春からたくさん見てきました。でも、当時の守備力ではあっさりやられるシーンがたくさんあり、横浜FMユースや桐蔭学園高を超える技術力を身に付けて、その上で勝つチームになるには時間が足りないと思いました。だったら、違う戦い方を考えないといけません。プリンスリーグ前期の最終節に桐蔭からボールを奪えず、何もさせてもらえなかった。あの負け方が悔しくて仕方がなかった。あのとき、選手に『市船はどういうチームなんだ?』と問いかけました。それまではポゼッションやパスでの崩しの練習が多かったけど、あの試合から守備の精度が上がっていきました。桐蔭にあれだけやられなかったら、あそこまで守備を求めることはなかったかもしれません」

--記者会見でも理想のチームとして桐蔭の名を出していましたが、かなり思い入れの強いチームなのですね。
「今年は桐蔭さんが高体連でピカイチだと思っていましたし、ターゲットにしてきました。私は高校時代に守備を教わりましたけど、元々は攻撃の選手。ショートパスをつないでボールを回す、昔のヴェルディのようなサッカーが好きです。桐蔭さんは昔のヴェルディの流れを汲んでいるというか、以前から高校チームでも少し質が違うサッカーをしていますよね。指導者になってからも『市船がああいうサッカーをやったら、もっと脅威になるんじゃないか』と思っていました」

続きはエルゴラッソ本紙で!

(提供元:サッカー専門紙EL GOLAZO)


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