現役引退を発表したのは19年3月、約1年前のことだ。わずか29歳でスパイクを脱いだ男が、セカンドキャリアに選んだのはなんと「競輪選手」だった。なぜ彼は競輪の世界に身を置いたのか。その背景にある決意と、努力の軌跡を追った。
取材・文:郡司 聡
引退したら競輪選手に。おぼろげながらにそう思っていた
かつて松本を率いた反町康治(現・日本サッカー協会技術委員長)から、直々に移籍加入を口説かれた男が、競輪選手への転身を目指している。
北井佑季、30歳。ドリブル突破を武器としていたアタッカーが、積み重ねたプロサッカー選手としてのキャリアは9年。町田、松本、富山、そして相模原を渡り歩き、2019年2月末、現役引退を決断した。
もちろん、プロサッカー選手を続ける選択肢もあった。相模原を契約満了になった北井は、18年12月に実施されたJPFAトライアウトを終えてから、東南アジアへ飛んだ。マレーシアやタイなどで、2部のクラブのトライアウトに参加し、獲得オファーも届いた。さらに北井の下には、警察官の仕事を全うしながら、警視庁サッカー部に所属しないかという誘いもあった。しかし今後自分が進むべき道を熟慮しながら、頭の片隅に引っかかっていることが、どうしても拭えなかった。
「19シーズンは僕も29歳の年。1年1年が勝負の中で、せいぜい現役を続けられるとしても、33、4歳ぐらいまで。その歳でキャリアに区切りをつけても、それからできることは限られてしまいます。また警察官になるという話も公務員ですし、安定はしているので魅力的ではありましたが、プロ選手を引退したあとも、サッカーを続ける意志があまりなかったので、警察官は難しいのかなと思っていました。その一方で松本に在籍していたとき、競輪選手である幼なじみのお兄さんにお会いして、何度かお話をする機会がありました。そういった背景もあったので、実は松本にいたころから『引退した後は競輪選手になりたいな』とおぼろげながらにそう思っていたんです」