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[PLAYBACK 2017]戦い抜いた無二の男

2020/6/5 4:47


日本勢では初の快挙となった二度目のアジア制覇。
この優勝は、“浦和のエース”の奮闘なくして成し遂げることはできなかった。
左ひざにケガを抱えながらも戦い抜いた興梠慎三という男の覚悟。
文・菊地正典

“浦和のエース”として果たした重責

ACLは「一番欲しいタイトル」

 2017年、浦和は二度目のアジア制覇を果たした。前身のアジアクラブ選手権からACLと大会名を変えて以降、アジアを二度制していたのはわずかに3チーム。アジア全体で4チーム目、そして日本では初の快挙だった。
 シーズン途中でミハイロ・ペトロヴィッチ監督が契約解除となるなど、決して順風満帆ではなかったこのシーズン。大会MVPに輝いた柏木陽介や、新加入ながら9得点を挙げて大会得点ランク2位タイになり柏木に「俺よりMVPにふさわしい」といわしめたラファエル・シルバの活躍も目覚ましかった。だが、“浦和のエース”の奮闘なくしてアジア制覇がなかったこともまた、紛れもない事実だ。
 チーム同様、興梠にとっても本意ではない状態が続いた。春にはそれまでも痛みがあった左ひざの状態が悪化した。検査の結果は骨挫傷。完治には6カ月を要するケガだった。それでもプレーできないわけではない。「プレーしながら治すしかない」。興梠は痛みと付き合いながらプレーすることを選んだ。
 それでもチームの成績は下降線を辿り、ペトロヴィッチ監督はチームを去った。高卒ルーキーから8年間過ごした鹿島を離れ、浦和を選んだのは「こんなサッカーもやりたい」と思ったからだった。指揮官はサッカーだけではなく、人としても魅力的だった。だから別れの際には「こんな歳でこんなことになるかね」と自分でも思うほどに泣きじゃくった。「こんな思いをするぐらいなら今後は監督と距離を取ったほうがいいかもしれない」とすら思った。
 それでも興梠の心は折れなかった。大会に臨む度に「一番欲しいタイトル」と公言し続けてきたACLでの優勝を目指した。自分のため、チームのため。それはもちろんだ。加えて、「今年優勝できればミシャの名前も残る」という思いもあった。
 チームは堀孝史監督の下、守備を改善し、アジアで戦う度にたくましさを増していった。アウェイでは苦しい戦いを強いられたが、ホームでは大観衆の声援も力にしながら逆転勝利を果たし続けた。ラウンド16の済州戦は0-2、準々決勝の川崎F戦は1-3とアウェイでの第1戦に決して小さくないビハインドを背負ったが、いずれもホームでの第2戦で浦和の1点目を決め、反撃の口火を切ったのは興梠だった。
 攻撃や数字に残る結果だけではない。準決勝の上海上港戦ではアウェイでの第1戦で先制されながらも世界クラスの攻撃陣と堂々渡り合った守備陣の奮闘に心を打たれ、「内容よりも結果」と臨んだ第2戦ではFWながら自陣ゴール前での守備もいとわなかった。アルヒラルと対戦した決勝での第1戦ではチームメートと話し合い、「ホームであれをやっていたらダメだけど」と苦笑しつつ相手CBにプレスにいかずに引いて守ることを選んだ。第2戦では「守備でいけなくなっていたので俺が頑張ろう」と左WGのラファエル・シルバとポジションを変えた。すべてはチームのため、優勝のためだった。
 
もう一度アジアの舞台に
 
 優勝セレモニーでは自ら志願してカップを掲げた。「やっと…やっと獲れた」。試合後には浦和の街に繰り出してサポーターが集まる飲食店に顔を出し、牛丼チェーン店ではその場にいた人全員の会計を支払った。「優勝最高!」。とにかく嬉しかった。
 あれから二つのシーズンを過ごし、興梠はリーグでの二ケタ得点を8シーズンに伸ばした。そして変わることなく“浦和のエース”として浦和の復活、そしてもう一度、アジアの舞台に立つことを誰よりも切望している。

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