長野県松本市に本拠地を置く街クラブだった山雅サッカークラブ。地元有志を中心に、同クラブをJリーグへと昇格させようという壮大な計画が本格化したのは、いまから10年前の2004年。そのクラブは翌年、『松本山雅フットボールクラブ』へと名称変更。プロ監督として辛島啓珠(現・佐川印刷京都監督)を招へいし、長く険しい道程の第一歩をスタートさせた。
十年一昔というが、地域リーグ2部にいたクラブはついに来季J1へと舞台を移す。5部リーグからトップリーグへ、わずか10年での稀有なる出世絵巻に見えるかもしれない。しかし、その道程を見つめ直すと、間違いなく苦闘の連続であったとあらためて思う。
09年途中にチームに加入した鐡戸は、その苦闘の歴史を当事者としてつぶさに見てきた最古参選手だ。JFL、J2、そしてJ1昇格の日々を振り返り、最も厳しかった時期は09年だったという…