聞き手:菊地 正典 写真:宇高 尚弘 取材日:12月6日(日)
“ 浦和レッズの鈴木啓太”で終わりたかった
鈴木啓太を育てた二つのサッカー王国
―引退を表明した理由についてあらためて聞かせてください。
「まず浦和で(現役を)辞めたいというのは、“辞めたい”というよりも“浦和で”というのが最終的には一番大きなことだったのかなと思います。引退するに当たって自分のコンディショニングであったり、それでもサッカーを続けるのかどうかということも含めていろいろと考えたのですが、やっぱりここ(浦和)で辞めたいなというのが一番の理由です。引退というのは必ずいつかはしなければいけないですけど、時期であったり、場所であったり、それが大きかったですね」
―サポーターや雰囲気などいろいろな要因があると思いますが、そこまで強い浦和への思いは16年間在籍してどんなところにあったのですか?
「浦和はプロに入るきっかけをくれたクラブです。ただ、僕は静岡の清水市(現・静岡市)出身なので初めは静岡への愛情とか清水への愛情というモノが強くあったんです。浦和に入ることが決まり、イメージ的には(当時は)強くないクラブというか。でも、その中でサポーターのみんなの思いが、自分がプレーしていく中でどんどん大きくなっていきました。知らない間に僕は浦和の人間になっていたという感じです。ずっと自分たちが“サッカー王国”と言われる静岡、清水という場所でやってきたので、プライドも下手なりに持っていたんですけど、それがだんだん静岡、清水と言われてもピンと来なくなってきた自分がいるんですよね」
―それは何年目ぐらいからですか?
「知らず知らずにですね。いつの間にかそうなっていたというか。もちろん職業なので人からも、『浦和レッズの鈴木啓太さんです』と言われるようになって、ただ単にサッカーチームの一員としての自分の肩書きみたいなモノだと感じていたのが、何か『静岡出身なんです』と言ったときに『あ、そうなんですか? サッカーどころですよね』くらいの感じになっていって、“浦和の鈴木啓太”というのが世間にも少しずつ認められていったと思います。サポーターだけではなくてクラブとか、街とか、自分の肩書きとか、そういったモノでいつの間にか浦和の人間になっていました。それが原動力というか、自然な自分の肩書きとしてどんどん入ってきてしまったような感じですね」
―それはほかでもない“浦和だったから”ということも大きかったんでしょうか?
「もちろん…