Feature 特集

南アフリカW杯16強(2010南アフリカW杯)/日本代表の軌跡

2015/4/30 9:41

本田の台頭と俊輔の不振。エースの世代交代を印象付けた第2次・岡田ジャパン


2010年南アフリカワールドカップ

 2006年ドイツワールドカップ直後に就任したイビチャ・オシム監督が2007年11月に急逝脳梗塞で倒れ、2008年1月から岡田武史監督の2度目の登板となった日本代表。2010年南アフリカワールドカップアジア予選は紆余曲折の末に突破し、4大会連続の世界舞台に向かったが、大会直前に絶対絶命の危機に陥った。そこで指揮官はキャプテンを中澤佑二(横浜)から長谷部誠(フランクフルト)変更。基本布陣を4−2−3−1から4−3−3へシフトし、本田圭佑(ミラン)を1トップに据える奇策を採る大胆采配を見せた。これが本番でズバリ的中。カメルーン戦での本田の一撃を皮切りに、日本はオランダには敗れたものの、デンマークにも勝利してグループ2位通過。決勝トーナメント1回戦でパラグアイと120分間の死闘に持ち込んだが、駒野友一(磐田)のPK失敗で惜しくも敗戦。16強止まりとなった。それでも大会前の不安を一掃するミラクル快進撃に日本中が度肝を抜かれたのは事実だった……。


 2006年ドイツワールドカップ惨敗後の川淵三郎会長(当時・現最高顧問)の「オシムって言っちゃった」発言の後、ジェフユナイテッド千葉を率いていたオシム監督が2006年7月に正式に就任。老将は当初、ジーコジャパン時代にはフィールドプレーヤーで唯一、ドイツのピッチに立てなかった遠藤保仁(G大阪)、アテネ世代の阿部勇樹(浦和)、闘莉王(名古屋)ら国内組をベースにチーム作りを進めた。中村憲剛(川崎)もオシム監督から抜擢された1人。年代別代表経験の有無に関係なく、ボスニア人指揮官はいいと思った選手を次々とトライした。

 中村俊輔(横浜)、高原直泰(相模原)ら欧州組を加えていったのは・・・

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